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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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草の戸随想 247号 9月号          高沢英子 
   再会 ー夏の嬬恋でー
 梅雨が明けて間もなくから、きびしい猛暑が続いている。日本中例外なく暑くなり、東北や北海道でさえ三十度を超える気温だと伝えられて驚いた。
そればかりか、地球の至るところが宇宙からの熱波に包まれ、アメリカ、カリフォルニアの山火事は収まる気配がなく、ポルトガル南部のリゾート地の山火事は、古くからのキリスト教国らしく「黙示録的赤い炎」などという形容詞付きで報じられ、ている。家を失い、命を落とした人も少なくないという。 

娘の家族とわたしは、今年夏休みには、嬬恋に行くことを予定していた。わたしは、できれば以前嬬恋で親しくしていた広瀬尚子さんとも久しぶりに会いたいと思い、あらかじめメールで問い合わせると、七月末から八月初旬を予定しているという返事が届いた。
以前彼女が一人で切り盛りしていた北軽井沢のカフェはもう閉めて、建物は息子さんに譲り、その後彼女と娘さんたちは、昔家族が持っていた北軽井沢の旧大学村の古い別荘に滞在するのがならわしで、尚子さんは今年も最近結婚したご主人と一緒に行き、娘さんと合流する予定、ということだった。
七月末、孫の学校行事や、その他それぞれ抱えるもろもろの雑用を片付けて日程を調整し、月末には数日をあてられることになり、二十七日金曜日、出発は夕刻五時頃、途中で夕食を取ろうということに決めた。
7月三十一日は、火星が地球に大接近するというニュースが伝えられていた。大接近とはいえ、五千七百五十数万キロメートル以上という気の遠くなるほどの距離だが、それでも、平常の六倍位の大きさに輝く、というので、天体望遠鏡も持っていてこの方面には多少マニアの娘の夫は、同行して空気の澄んだ嬬恋の夜空にそれを見る事を楽しみにしていたが、思いもよらぬ台風襲来の知らせと、突発的に舞い込んだ仕事が重なり断念した。
 広瀬尚子さんは二年前、ピースボートで旅行中に知り合った九州の男性と結婚し、相手の方の家が門司なので、そこに移り住んだ。北軽のカフェを閉めてから暫らく東京にも住んでいられたが、なかなか会う機会がないままに、遠い処に行ってしまわれたのである。
嬬恋の家についた翌朝、早速彼女が滞在している別荘を訪ねて行った。ほぼ七年ぶりの再会だが、既に八〇歳を超えた彼女は、あいかわらず、びっくりするほど若々しい。はじめてお会いするご主人は八歳年下ということだが、やはり年齢を感じさせない元気さで、いかにも九州男児らしい明るく豪放な方だった。この日合流するはずだった彼女の二人のお嬢さんは、予期していなかった家庭の都合や、台風による欠航続きで足止めされたため来ておられず、ひっそりした居間で話が弾んだ。
以前もこの欄で触れたが、新婚の夫婦お二人で始めた日本古典の読書は、その後もずっと続けておられるという。
今読んでいるのは、彼女のお嬢さんの御主人である作家池澤夏樹さんから、結婚祝いに贈られた池澤さん個人編集の日本文学全集 第九巻「平家物語」。全巻現代語訳で、訳者は数々の受賞歴で多彩な顔を持つ才人古川 日出男氏だ。
そろそろ後半 十一の巻、壇ノ浦の戦のくだりにさしかかったところで、「実に面白くて、奈良が舞台のところなどこれまで知らずに驚いたことがいっぱいあったけれど、壇ノ浦の戦は住んでいるところが舞台なのよ」と顔を輝かせる。話は尽きなかった。新婚のお二人は互いに気がよく合うと楽しそうに話された。
理解ある御主人のもとでカフェ時代から始めていられたさまざまな自然運動のワークショップや講演会、とくに力を入れていられたスコットランド、フィンドフォーンの奇跡の植物ワールドの紹介と啓蒙運動の一端ともなるツアー計画など、一貫して九州でも粘り強く続けていられると聞き、その実行力と信念には頭が下がるばかりだ。
東京に帰ってきて、わたしは図書館で尚子さんご夫婦が読んでいられる九百頁近い日本文学全集の「平家物語」を借りてきた。そして「平家物語」が大変な書物であることをあらためて実感した。訳者の古川氏は、前書きで、正確な著者不明のこの本は、複雑な成り立ちで多くの語り手の手で書き加えられ、異本も多い。それだけに内容に厚みがあり豊饒で、ある意味無節操。だからこそ「わたしは全身全霊でこの物語を訳した。」と述懐している。
でもつづけておたしはかつて畏友杉本秀太郎が、やはり「平家物語」にとりつかれて書いた本を持っている。京都の旧家生まれのかれは、好んで散歩したが、そのころ、来る日も来る日も毎日ポケットに平家物語を入れて歩き回った、と聞いたことがある。かれの「平家物語」は現代語訳でなく、いわば読みながらの感懐を、あらん限りの博捜ぶりを加えて書いたもので、一九八八年から九六年まで、画家の安野光雅氏の挿絵付きで講談社の月刊誌「本」に発表され、本となって出版された。四百数十ページに及ぶ書物で、大佛次郎賞を受賞している。
「平家を読む。それはいつでも物の気配に聴き入ることからはじまる。身じろぎしておもむろに動き出すものがある・・・」というかれ独特の文ではじまる七年にも及ぶずしりと重い随想である。
フランス文学専攻で、大学で教鞭をとり、アナトールフランスの「赤い百合」やメーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」などの訳書や、アランの研究書を持つが、詩人でもあり,多くのエッセー集も出し、なかでも「太田垣蓮月尼」に関する著作や「平家物語」は彼畢生の作品であったと思われる。
思えば若いころかれがたびたびくれた手紙は、独特の感性と表現に充
ちた素晴らしいものだった。わたしは自分の才能の乏しさと学識の浅さに絶望し、大いに焦らされたものである。戦後の学制改革で、余儀なく新制に移行させられた金沢の第四高校一年在学の経験を持つが、四高は奇しくも私の夫や、伊賀の友人西村徹さんの出身校でもあった。
これも余談だが、平家の一門で、皮肉にも頼朝助命に大きな役割を果たした平宗清は、平家滅亡のあと柘植に住み、代々福地姓を名乗ったと伝えられ、杉本さんの本にもその言及がある。かれは菊山當年男さんの著書「はせを」もよく読みこんでいた。実は、わたしの母方の曾祖母は福地家の出だが、当時は詳しいことは何も知らず、そんな話はしたことがない。
また、かつての文学仲間の長谷川 佳さんのお嬢さんは、東大紛争時代に学生同士で知り合った国文学専攻の大学院生近藤氏と結婚。かれは今はすたれかかっている「平曲」という平家物語語りの分野の研究者で、演奏もその道の師について学ばれ、「平曲」保存に力を入れておられると聞いていた。私は長谷川さんに誘われ、一度その女婿の近藤氏が主宰する演奏会で日本でも数少ないという師匠の「平曲」を聞いたことがある。巷間伝えられる平家琵琶とは一味違う地味な謡いぶりであった。徒然草もこれに触れて、東国生まれの盲人生佛(しょうぶつ)という僧が語りはじめたものと書いているとか。わたしはその会で師匠と近藤氏が演じられた平曲のC.Dをいまも持っている。
だが、長谷川 佳さんも、近藤氏も、杉本秀太郎も、もう世にない。まさに「諸行無常」。杉本さんにはそれしか言えないのか、と笑われそうな感懐を漏らしてしまう。ならば「そのとき微かな胸騒ぎが絶えないのは持怪(もっけ)の幸い」とでもいおうか。しかし実はこれを書いていたときかれは私的には家事多難の大きな重荷を背負っていたことをわたしは別の友人から聞いていた。かれは「平家」とー気永に、ねんごろに、気まぐれに、付き合いながらーどうやらそれを乗り越えたのである。
かれがその「平家物語」の巻末に「名残の空にうっすらとうかんでくる」として引用した太田垣蓮月の一首をしるして、この稿を閉じたいと思う。
ーうつり行はじめも果もしらくものあやしきものは心なりけりー
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