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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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わが街かわら版 ⑦        高沢英子
 マジョルカの冬ージョルジュ・サンドとショパン 

四〇数年前、ミュンヘンから帰国の途に就く前に、私たちは同じく帰国する日本人の家族と、スペインのマヨルカ島で数週間を過した。沖縄本島の三倍ほどの大きな島で古い歴史を持ち、修道院や大聖堂もあり、手ごろな観光地としても有名だった。
季節は早春、バルセロナから船で渡れるこの島の首都パルマのホテルは、厳しい冬の寒さを避けて、比較的安い費用で長期滞在して楽しんでいるドイツやイギリスの高齢の年金生活者たちでいっぱいで、夜はダンスパーティを開いたり、海辺の散歩や、島の有名な洞窟を船で廻り、起伏の多い島なかを自転車で走ったりと、思い思いに長い冬を楽しんでいた。雨の少ない土地で、ショパンがトルコ玉のような、と言った青い空と瑠璃色の海で、子供たちは一日中泳ぐことができた。
およそ二〇〇年前の一八三八年秋一〇月、フランスの作家ジョルジュ・サンドは、友人に「天国のよう」とすすめられ、二人の子供と、ポーランドから来た若いピアニスト、ショパンを伴い、このマヨョルカ島に二月まで滞在している。二年前に知りあい親密になったショパンとの仲が、パリの社交界でとかく噂の種となっていたので、既に肺の病に侵されていたショパンの療養目的もかねた逃避行だった。
かれらが滞在したのは、バルデモサ村のシャトルーズ(カルトゥハ)修道院、標高の高い山間にあり、平地の暖かさと違い冬は凍りつくような寒さ。おまけに雨季とあって、旅行は困難を極め、病状は悪化、保守的な村人の冷たい目を浴びて居心地も悪く失敗に終った。
だが精力旺盛なサンドは、ショパンの看護や薬の調達とかいがいしく動きつつもペンを取り続け、病苦のショパンも取り寄せたピアノで、二十四の前奏曲やポロネーズ「軍隊」、雨だれの曲などの名曲を作曲した。
三年後サンドは「両世界評論」に詳細な風土の紹介付きの紀行文「マヨルカの冬」を掲載。その本は彼らが滞在した僧房で山積みして売られていたが村民をダンスと歌うことしかできず考えない愚か者達などとちらちら書いてあり、出版当時村人ををかんかんに怒らせたとか。
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