わが街かわら版⑸
引きこもりの詩人 エミリー・ディキンソン
大晦日に初日の出を見ようと娘の運転で九十九里浜まで走り、孫と三人、暗い浜辺に陣取って車内で夜を明かした。夜半、ふと気がつくと真の闇と思われたあたりが少し明るみ、海面に白波が見え、見わたすかぎり、さえぎるものもない遠い空に星がまたたき、中天に満月に近い月が輝いていた。陰暦十一月十五日、元旦は十五夜にあたるのだ“月の光にうつしだされた海は静かで、ゆったりと寄せてはかえす波音だけが聴こえてくる。
月は 金のあごだった
一日 二日まえには。
いま 月は 完全な顔を
下界に 向けている
ひたいには たっぷりと金髪、
頬は エメラルドの色、
視線を 夏の夜霧に落としている
わたしの 一番好きな 月のすがた
と歌ったのはアメリカの近代随一の詩人ともてはやされるエミリー・ディキンソン。生涯ニューイングランドアマストの田舎町を出ることなく、喧騒の世界をよそに孤独な自己と向き合い、魂の底から迸る多くの詩を書きのこした。生前発表した詩は匿名の数編にすぎず、死後妹がみつけた遺稿が頒布され、愛好者を得たが、一八〇〇篇におよぶその全貌が研究者の手であきらかになるのは死後七〇年もたった一九五五年だった。その自然を歌う語は繊細さにみちているが、ユーモアにもこと欠かない。わが国でもターシャ・チューダの絵とあたかも協奏曲を奏でるかのような美しい詩画集「まぶしい庭へ」が角川から出版され、晩年には家から出ることさえしなかったという孤高の生涯を描いた「静かなる情熱」というタイトルの映画が昨秋岩波ホールで上演された。
夜が明けた。わたしは目路はるか大海原のかなたから輝く日輪の差し昇る姿を目のあたりにし、その黄金色の圧倒的な美しさに胸つぶれる思いで呆然と立ちつくした。そして、夜の月を愛した詩人ディキンソンが、もしこの日輪を眺めたとすればどんなふうに歌ったことであろう、と思った。浜辺では初日の出を見にあつまった人々が交歓し、寒風のなか、サーフアースタイルに身を固めた男たちが、てんでにサーフボードをかかえ、海にむかっていく姿が、三,三,五,五、黒いシルエットとなって見えていた。
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