かわら版⑷「大つごもり」を読んで 高沢英子
樋口一葉は市井の片隅で懸命に生きる人々を、語り手の情景描写と登場人物の対話を織り交ぜ目に浮かぶよう描き出し、忘れがたい余韻を漂わせる作品の数々を残した。「大つごもり」もその一つ。
「大つごもり」をテーマにしたものには井原西鶴の「世間胸算用」に笑えぬ悲喜劇を描いた作品があるが、西鶴の面白うてやがて悲しき恍けた才覚の見え隠れするものに比べ一葉のそれが時代の違いを超え一段と心に沁みるのは、行き届いた状況描写と貧しい人々に注ぐ愛のまなざしであろう。
幼い時両親を失い貧しい伯父夫婦に育てられた娘お峰が奉公した先は町内きっての大金持ち、家事は女房まかせの主人と強欲で意地の悪い御新造と贅沢三昧の娘達に先妻の残した放蕩息子石之助という家庭。病に倒れた伯父の一家は逼塞し、八歳の息子が蜆売りをして薬代を稼ぎ大晦日に払わねば済まぬ高利貸の延滞料二円、お峰に主家で借りてくれるようすがる。だがお峰が必死に頼んでおいた約束の大晦日、御新造は聞いた覚えないと撥ねつけ、抽斗に金をしまって出かけてしまう。お峰は、居間の炬燵で昼寝をしている息子ひとり残った家うちで死を覚悟で抽斗から二円を盗み出し、取りにきた子供に渡す。帰った御新造が抽斗をあけると、金は全部消え「引出しの分も拝借いたし候」との置手紙が一枚。先刻暇乞いして遊びに出た息子の仕業ときまる「孝の余徳は我知らず石之助の罪と成りしか、いやいや知りてついでに冠りし罪かも知れず」
樋口一葉は明治5年東京都千代田区の東京府庁構内の長屋で生まれた。幕末志を立て山梨から江戸に出た父は武士の身分を手に入れたが運に恵まれず、跡継ぎの息子も失い失意のうちに世を去った。
一葉は十七歳で家長として一家を支える重荷を負い、もの書くことで生計を立てようとしたのである。師の半井桃水への思慕を胸に秘め、ひたすら家族のために精進した生涯。自己主張の多い女性作家の中できわだって女ごころはおろか寂しい男ごころの襞まで見事に描くことのできた稀有な存在だった。眼識の高い人々は早くからその並々ならぬ才能を見抜いていた。森鴎外は勿論、漱石も常にうまいとほめていたという。
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