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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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比較的長いこの日の日記には、大きく分けて3つのテーマがある。
①は”Wholeness”(全きこと)について。これには少し歴史的説明が必要かもしれない。
 1970年11月9日、フランス大統領 ドゴールの死去に関して、追悼コメントをカーラジオで聞いたサートンの思索のなか  で取上げられている言葉だから。多くの示唆を含むこの力強い 「一人の人間として全的である」という、コメントの意味が、 人間としての行為の正しさ、や下した結論の正しさを意味するものではないことを、サートンも明言しているが、いうまでもなく、「完全無欠な人間」などという意味ではない。 

②女は、全的人間になりうることは稀である。それはなぜか?

③孤独とは?サートンによれば、「存在するための空間をもつこと」

六月の読書会で、この3つをもっと掘り下げてみたかった、と思うが、それはなされずに終わった。ある種の物足りなさと心残り・・・。焦らずにすすめていこう。

この日の日記の終わりには、サートンの、神についての言及がある。彼女はキリスト者ではないが、無神論者では決してない。日頃傾倒している、フランスのカトリック神父、ティヤール・ド・シャルダンの「神のくに」を、持ち帰り、読み返そうとしていることへの、ある種の期待から、魂の昂揚が見られる箇所で、詩的な響きをもつ美しい結末だ。。
 これについても、いずれじっくり話し合いたいと思う。



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