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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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ENDGAME 吉川訳続き
五月七日 月曜日
今朝早くピエロを中に入れてやろうとしたら(ピエロはいつも五時に外に出たがる)また雨が降り出していた。憂鬱な雨ふりばかりの春だ。毎日、毎日 雨と風 庭にはいいかもしれないが表に出たい我々には つらいことだ。ときどき私はどうしてメインになんか住もうとしたのかと思うことがあるが ときには理由を思い出させてくれることがある。
  しかしあの五月三日は穏やかな日だった。
一軒の花やが三度も四度も配達してくれたので、午後遅くに最後の花を届けに来た中年の女性に 少し戸惑いながら“今日は私の七十八歳の誕生日なもので”と言い訳をすると
“お友達はあなたが自分の誕生日をわすれないようにと、おもってくれてるんですよ。
そうでしょう?“この純粋のメインっ子のことばは本当にうれしかった。だから私は
メインに住んでいる。 この辛辣なユーモアのセンスが私にはいい薬になる。


五月九日  水曜日
毎秋 私は小さなゆり科の球根(フリチラリー)を植える。 しかし一つか二つしか花をつけない。根がどこにあるのか 小さなひげがあったりなかったりで見つけるのがとてもむづかしい。今年は三つか四つ花をつけた。奇跡だ。私は二本をつんで、青い花瓶に挿した。これはパット チャセイのお祖母さんの宝もので彼女の家族からの贈り物である。私は彼女の自家製のカスタードを毎週届けてもらっていた。私の誕生日から家の中はこれらの小さな贈り物で一杯になった。これらは私の心の良い薬だ。
これでもう六カ月 あまりにも衰弱していたので仕事をしていない。手紙一通書くのにも 大変なエネルギーがいる。これはきっと心臓の薬のせいもある、私をマルハナ蜂のように、物憂くしてしまう。 しかし少しは良くなった。このように文章が書けるのだから。一カ月前は出来なかったことだ。
私のフリチラリーへの思いは第二次世界大戦の前 まだ英国にいたときにまでさかのぼるあの花を 初めて見たときにすっかり魅せられてしまった。タンブリッジ ロック近くのペンシン ザ ロックスのドロシーウエルスレイのところだった。 車が古く低い石の橋を揺れながら渡るとき両サイドにあの牧場が見えてきて何百もの可愛いベルをつけた花を見た。一本の茎に変化にとんだベルの花びらが揺らいでいた。
あれが奇妙な幻想的な週末の始まりだった

五月 十三日  金曜日
一番の大事な日の母の日 降り続く酷い雨の日だ。 起き上がりたくなかった。ピエロはちょうど四時過ぎに外へ出てゆき 頭からしっぽまでずぶ濡れになって帰って来た。それから朝食をとると また外へ出るとせがむ。 私はベッドへ戻り半時間ほどで起き上がってみると、案の定悲しそうな鳴き声をたててドアの前で待っていた。
酷い疲れと倦怠感との戦いが毎日続く。 その日のことを書きあげるのに四日もかかる。仕事はすべてやり遂げるが、日記だけは冷酷なプレシュアーとなって日常の仕事として組み込めない。ドクターギルロイにそのことを言うと“それがあなたの治療になるんでしょう  私はそう思いますよ” それに多くの友達も同じことを言う,でも誰も一行書くにもこの努力がいること知らない。私はマイクロレコーダーを使いたい ポーツマスまで行つて買ってくる元気があったらと思う。  町まで出かけられたのはもう何か月も前のことだ。  まあ昨日はこのヨークで スニーカーなどを買ったが、大変な出来事だった。
昨日は素晴らしい春の日だった、青い海 緑の草原 ああみんな 私は白いすみれを摘んで小さな花束を作った。突然すみれたちは 特に垣根に沿った境目の空き地一杯に広がってきている。庭は豊かさにあふれている たとえば谷間の百合等、でもこのおどろくほどの過酷な十二月の寒さで失われたものも多かった。 白いブリーヂングハートは何箇所かで生き残っているし、アルダシャープが去年の誕生日にウインターザーから下さった青い紫陽花も生きている。この花はザークの島に二人で一緒に旅行したことを思い出させてくれる。私はその二年前に一人でそこへ探検に行った。そしてアルダはこの花が好きだろうという予感がした  われわれはここで、牧場のブールベルやプリムローズに囲まれてピクニックをし はるか下の方を飛んでいるカモメを眺めながら 高い崖の上でビートリス
ポッターデイを過ごした。

五月十四日  月曜日

この頃は 楽しいことが時たまあるのだが、すぐ忘れるし 次に起きたことも又忘れてしまう。それはまあ仕方のないこととして書きとめることもしていない。 只今は 二つの木彫りの鳩がくうくうと絶え間なく鳴いている。 激しい風で海は波立つ。こんな日に鳥もいないでは どんなだろうか? 窒息する様な 静けさだ
しかしまた 餌台を出たり入ったりの鳥の絶え間ない動きが 空気を生き生きさせてくれる。.ときには二十羽もの金色の鷽が群がってやってきて、安全にこんなにおいしく用意された餌台にむかっていく。紫色の鷽や五十雀(ともに小さく白くて胸毛がピンク)キツツキ(毛が多くふかふかしている)四十雀,つぐみ、ブラックバード,椋鳥 鶸など。
ここ何カ月かずっと調子がよくない。朝早く起きて下に降りて鳥の餌台をだすことが私を生かし起き上がる理由になっている。
最悪の苦闘は 時々起き上がる理由など何もないじゃないかと思うことであった。然し今はこうして日記を少しは書けるし、いわば 仕事着を着て機能的な人間に代わった。生活者としての私に強制的に変えてしまった。 最高の時。

五月二十四日  木曜日
太陽が出た!この二十日間の雨と霧と小雨、冷たい東風 五月にこんなことはなかった。新しい木々の葉を太陽が照らすのを見られないなんて 私の寝室の白い壁に太陽光線の旗が閃めいて起こされないなんてこと考えられなかった この私の書斎から荒々しい青い海へ向けて輝くエメラルドの小路がカーブしながら野原を下っていくのを見られないなんて。
この間中 私はおかしな地獄の辺土にいるようで 頭の中の悪魔が天気の悪魔と出会って我々を捕まえているようだった。
さて今はテラスの庭を見廻ってなにが出てきているかを見て、じきに ナンシーと一緒に恒例の多年草仕入れのための巡礼に行く。凍りついた十二月のために、をだまきはみんな死んでしまったので、どうしてももう一度植えたいと思うのがまた一つの理由でもある。
多くは花盛りだ__白すみれはどの場所でも垣根に沿って豊かな境界線を作っている。ふつうの芍薬は生き返ったが 牡丹は 私の大きな楽しみなのに随分痛んでいる。 ほんの二三本のしっかりした木の茎にすこししか蕾をつけていない 私は一つずつ調べてみた、特に白色のは大丈夫だ。恐ろしいことだ。いくつかのアイリスは蕾だ; バラ等もピンクの 皺の多い葉の山を除いては死んでしまった。モザイクのようにぬけおちているが、それで
も見事になるだろう。
 おそらく この頃の私の生活のようだ。 私はなんとかよくなってきた、息苦しさも少なくなってきたし、何カ月も眠れなかったのに静かに眠れるし、人と会うのも楽しい。これは進歩だ。今は半時間以上の無駄話はしない。友人と会ってランチやお茶の後で有意義な会話をするのが私にできる一番の創造的なことだ。
 しかし その日は何処へ行ったのか? 殆ど得る物は何もない。私はこういうことを書きましょうと想像しながら机の前に座る夢を見ながら それでも何もできていない。私は良くなった。しかし頭が良くない。考えることと表現する言葉トの間にギャップがある。それで考えはふらついてしまう。

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