END GAME 一九九〇年 五月三日 私の78歳の誕生日。やっと太陽の光りを見て嬉しいとは信じられない。木の周りに水仙が優雅に咲いて、閉じ込められた冬から解き放たれて、何もかもが花開こうとしている。みんな生き返ったようだ。こんな言葉を少し書くだけでも私にとっては大変なことである。何ヶ月もの病気のあとで、心臓はもうこれ以上書くのを許さない。葉書でさえ、ヘラクレスのような力が要る。五時頃ベッドの中では、ピエロー豪華なヒマラヤ猫ーが 外に出る時間なので、出してやり、、戻ってきてから、すばらしい葉書を書くつもりだったが、とても書くことなどできない。その前に鳥の餌台を出して、窓辺の植物に水をやり、自分の朝食の用意をし、済んだら片付けてベッドを作り、着替えをすると、私の力は使い果たされてしまう。 本当のところはわからないけれども、処方された心臓の薬の副作用が何か影響しているのだろうか?きちんと目覚めている気がしない。風の音でも起き上がったり、ただ夜は別だ。うっとりする様なねむり蛙の鳴き声に眠りを妨げられるけれど、静寂の冬の後で、何時間でも聞いていたくなるほど嬉しいことである。 この日記を誕生日にはじめるつもりだったが、クリスマスの後とか、イースターの頃とかに試みてみたら、頭の中に何か起こっていて、表現する言葉が出てこないということに関連があるように思われる。私は頭のCATをとってみたが、脳に異常はみつからず、素晴らしい医者のペトロヴイッチがいうには、「ただ心臓が非情に疲れている、 今までの力はなくなっている。」と。そこで私は半人前の生活。半病人の生活をすることになった。先月は、私の物書きとしての生活はおそらく終わったこと、人の助けを借りることを学ばなければならないことで、苦しんだ。
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