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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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魂の創造

九月十六日
 詩の朗読のあと、吉川が一つの疑問を提示した。「独り居の日記」十二月二日付けの、20世紀前半のフランスのカトリック司祭、ティヤール・ド・シャルダンの著書「神のくに」よりの長い引用のあと、魂について考察を始めるくだりで、
 
☆[われわれは、霊魂を創造していると信じられるとき、始めて人生に意味を見出すことができる]というサートン の言葉が続くが、<霊魂を創造する>というのは、いったいどういう意味なのだろう、というのである。
 
 原著でもこの部分はIt is only when we can believe that we are creatinng the soul that life has any meaninng,と簡潔に記されているだけだが、その後に続く「しかしそれをいったん信じたならー私はそう信じるし、常にそう信じてjきたのだがーわたしたちの行為で意味をもたぬものはないし、私たちの苦しみで、創造の種を宿さぬものはない」という言葉は、この際併せて考察しなければならない。
 そのためには翻って、ティヤール・ド・シャルダンからの引用を今一度読みかえし、彼とその1派の哲学の片鱗を、意識下におく必要もある。
 このきわめてヨーロッパ的で、カトリック神学の伝統の、霊魂の創造行為なる発想の歴史は古く、さらに、近代それに進化の思想を結び付けるに至っては、西欧のキリスト教思想にいまだ理解の浅い日本人にとっては、馴染みにくいものに違いない。しかし、サートンの魂に根深く浸透しているかに思えるこれらの思想を、この機会にじっくり考察してみるのは、決して意味のないことではない。むしろ大切なポイントといえるかも知れない。
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