メイ・サートンの言葉
サートンの言葉は一つ一つに、深い意味と輝きがあり、その都度、心を打たれ、新たに立ち上がる力を与えられるのです。とくに女性にとって、これほど深い愛と誠実さと優しさで、慰めを与える人は稀有の存在です。
いずれ、語録を編みたいと考えていますが、そのための準備として、少しずつ、意味のあることばをご紹介してゆこうと思います。ただし、順不同で、思いつくままに、共感してメモしたものから。ですから今回書き出した言葉が、最高というわけではありません。
《日記「回復まで」より》 一九七八年 六十六歳
十二月二十八日
〇わたしにとって、癒しの役をしてくれるのはいつも詩。
一月十二日。
〇孤独がなにかを生み出しうる時期は人生に二度あり、二十歳のころと六十歳を過ぎてからだろう。しかしその二 度のうちで孤独が自分の選択であるのは前者だけ。
〇どのようにして人は自分のアイデンテイティを見出すのだろう。私の答えは作品を通して、又恋をとおしてであ り、・・・・・。
二月十三日
〇だれが女性たちの人生をくまなく書きおおせているだろうか。
(わたしは一般化は嫌い)
・・・男性の手になる文学作品では、女性たちががすぐれた人間として描かれることは滅多にない。こうした 一般傾向にあって例外としてヘンリージェイムスが思い浮かぶ。
ж註 この年一九七九年、サートンは乳がん手術のため
六月八日ヨークの病院に入院。同月十八日手術(左胸)
二十七日退院。、という経験をしています。
七月一日
〇肉体が聖なるものであることを忘れては危険だ。
《「独り居の日記」より》1973年発表 五十八歳
10月11日
私には考える時間がある。それこそ大きな、いや最大の贅沢というものだ。
11月11日
孤独とは、存在するための空間を持つことである。
孤独 は 寂しい とは全く別の次元の言葉だと、サートンは繰り返し言っている。
3月18日
〇万事について、スピードが上がり、忙しなくなったから、・・・私たちの速度を緩め、忍耐を強いるものすべて、自然の緩慢な
サイクルの中に私たちを連れ戻すもののすべてが助けになる。だからこそ、庭作りは恩寵の道具なのである。
十二月三十一日
スタイルが精神の気品を表すように、やさしさは心の気品であるーと昨夜は眠れぬままにそう決めた。両方とも人の本質にかかわると思う.理性の質、感情の質に。
わたしにとって、不安で苦痛だった1年の最後の日、明日の夜明けが待ち遠しく、日が長くなるにつれて、新たな、生への歩みが感じられるように、と願う。季節のめぐる中で、最も暗い時間に「新年」を迎えるというのは神秘的だけれど、不思議ではない。個人的な闇に沈んでいる時、打ち勝たねばならない苦しみがあるとき、あらゆる困難にもめげずみずからを再生しなければならないとき、ただ生き延びてゆくために必要な精神力は、春に凍土の下から球根が芽を伸ばす力と同じくらい強靭で、ひとたびそれが克服されれば、新たなエネルギー、創造に向かうエネルギーが溢れ出てくる。事実、この夏以来何ヶ月も心にかかっていた短い小説を、今朝から書きはじめた。
〇使い古された快適な椅子が一つもないような家には魂がない。
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