大きい文字連日猛暑と報じられて数日たちました。今日は暦の上では立秋とか、古くから言い慣わされている季節の名称は、かずかずの思い出も絡み、なんとなく懐かしい含みがあるので好きなものですが、この夏は、ウイルス発生で、老いも若きも閉じこもりを余儀なくされて、雨がちの日々が続き、東京も梅雨がいつ明けけたのやら、開けるのやら、わからないうちに猛暑が襲いかかっています。
暦では立秋だそうですが、今朝も外に出ると、並木道でみんみん蝉が懸命に鳴き、照り付ける日差しの下で、生暖かい風が吹き廻っています。
ここ数日、集中して読むことにした本が2,3冊たまって、今日も神田錦町の学士会館のロビーに出かけました。土曜日の朝10時、いつもの窓際で2時間ほど、きのうはようやくナタリーア・ギンツブルグ「町へ行く道」は読み終えました。どんな内容なのか、感想をひとことでいうのはむずかしい、、人間が生きるというのは、こういうことなのかもしれない。ひとさまざま、こころの風景もさまざま、どうしようもない、と言ったところで、目下思考停止です。語り手は16歳の少女、運命に翻弄されて生きていますが、じつは大きな事件など何もないのです。
それはさておき、昨日今日の本命は阪本俊生著「新自殺論」青弓社刊を読むこと。これが私の宿題で、興味深い本ですが、学術書なので、遅々としてはかどりません。私の身辺で、知人たちにも自殺者は何人かいます。人間が自死するというのは、かれらが死を選ぶにいたる力の真実はどこにあるのか、それが彼らが生きていた社会とどうつながっているかの探求は、従来本当に深く追及されてきていない、それを力の及ぶ限り探りたいという恩師の痛切な志を受け継いで書かれた本だということです。これは私もぜひ知りたいと思うのですが、結論はどうなのか、なかなか辿りつけないでいるところです。(実は阪本俊生は私の息子です)
コロナ禍で、外食は避けようと、昼には帰ってきます。近くのバス停までゆく途中の道筋に、七五三(しめた)というおもしろい命名の小公園があります。七五三というのは、実はこの地で生まれた新島襄の幼名だそうです。ここは安中藩板倉家の下屋敷のあったところとか、彼の父が板倉藩士だったため、生家がこの地にあった、というわけです。規模はそう広くないのですが、多くの樹木が鬱蒼と生い茂り、ところどころにベンチも置かれ、小さな池には緋鯉も泳いでいて緑陰は涼しい風が吹き廻り、都心とは思えない心地よい空間です。そして板倉藩と言えばわたしは舅の弟の妻、つまり夫の義叔母は板倉藩の家老の娘だった、維新後零落してしまっていたが、家名に惹かれて叔父は彼女と結婚、しかも婿養子になってしまい、舅も他の兄弟姉妹も憮然(唖然?)とした、などという話を聴いた事があります。叔父夫婦のその後の運命についても、いろいろ後日談ありで、いづれ書き残しておきたいと思いながら、その説明板をスマホのカメラに収めました。
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