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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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原題は「I KNEW A PHOENIX]1959年、ニューヨークで出版。題名はイェーツの詩からとられ、1954年から56年にかけてニューヨーカー誌に連載された自伝のためのスケッチ、をもとに書き下ろされた。著者40代の最初のエッセー。
 ヨーロッパでの生い立ち、環境、アメリカ亡命後の教育、そしてその青春から作家としての出発までの真実が、豊かな感受性をたたえた詩的描写で書かれている。
 
 日本では「私は不死鳥を見た」武田尚子訳でみすず書房から1998年出版された。作家としてのサートンの形成を知る上で欠かせない1冊。
 
 最終章「イギリスの春」で、サートンが出会う貴重な知人友人たち。中でも、通称コットと呼ばれるユダヤ系ロシア人との交遊がその後のサートンの人生を決定したといっても過言ではないだろう。サートンは書いている。
『コットは、まやかしもの、偽りの言葉、いわゆる「文学的」なるものに対する誤りのない目をもっていて、そうしたものは微塵も受け付けなかった。しかし重大なもの、長続きするもの、真実の固い核にたいしても誤りのない目をもっていた。大量の批判に裏打ちされていたとはいえ、長い目で見た私にたいする彼の信念は、足元の揺るぎない岩盤を踏むのにも似ていた』
 『そのとき私は自分が作家としての可能性をついに開花できるまでには、長い歳月、残りの人生すべてが必要だろうという事実を直視しはじめたのだっつた』
 以来、サートンはこれを自己の中心核にすえ、長い人生を走り続け、ついに完走したのである。
 
 
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