fc2ブログ

プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
FC2ブログへようこそ!
 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


お江戸散歩

大きい文字<雨もよいの今朝、金物通りから江戸通りへ、いつものように散歩しました。日本橋界隈ではまだお江戸の名残りがあちらこちらに残っています。
 最近私がよく行くところは、小伝馬町の十思公園です。わたしの住まいから900歩程度で行けるこじんまりした公園ですが、桜やケヤキ?やコナラ?の大木が鬱蒼と葉を茂らせ、夏でも薄暗く涼しい風が吹く渡り、小鳥たちの囀りがしきりに聞こえます
公園の隅に大きな石の碑がありますが,彫りつけられた大きな漢文字は残念ながら今の私には読めません。子供向けの遊具が片すみに少しあるだけで、広々した空間に数10本の樹が葉を茂らせています。
 そもそも十思(じっし)という言葉はどんな由来を持つのでしょうか?かねて疑問に思っていたので調べてみましたら、ここにもとあった小學校がその名を持っていたから、ということです。明治人の教養が偲ばれ、さらに調べてみると次の回答が得られました。
「「十思」という言葉は、中国の北宋時代の資治通鑑の中に出てくる「十思之疏」(じっしのそ)天子がわきまえるべき10カ条の戒め<同百九十四巻>)の「十思」と、小学校の開校時の所在区画の「十四」[1]が同音好字であることにちなんでつけられたものである。この由来の説明板は、十思スクエア別館の壁に掲げられている」とありました。
スクエア別館とやらには、そのうち行ってみることにして、帰ってきました。
 しかし、もともと小伝馬町は、江戸時代有名な牢屋敷のあった土地だと、かねてから聞いていました。
  吉田松蔭はじめ、頼山陽の子息頼三樹三郎など多くの前途ある俊才がこの地で命を絶たれました。
 公園の片すみには牢屋式をしきっていた巨大な石なども展示されています。伊豆のほうから運んできた巨石の一部で、高さ七尺五寸(二・四メートル)で積まれていたということです。通りの向かいにある大安楽寺は、牢屋敷が1875年(明治8年)5月に市ヶ谷(市谷監獄)へと移ったあと、処刑場跡であることが嫌われ、荒れ果てたままであったそうですが、夜になると燐火が燃えたりして怖れられていたとか。それを見た上野五代山の大僧正の山科俊海師が処刑場で亡くなった者たちの慰霊の為勧進し、1875年(明治8年)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されたという由緒ある寺で、高野山の別院として今も俊海師の御子孫が守っておられ、一度早朝に通りかかった時、お孫さんいあたられる老住職が寺内を清めておられるのに遭遇してお話を聴いたこともありました。四季折々花や緑につつまれるこの公園、できれば朝ごとの散歩道の一つにしたいと思っています。

 
 
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://piccalda.blog51.fc2.com/tb.php/133-1dd1d35f

 | ホーム |