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高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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オルタのひろば14号  6月20日
   【ガムナッツベイビーの仲間たち】   高沢英子
   
⑶オーストラリア童話の母・ナットコートのメイギブス     

前号の「ガムナッツべ―ビーの誕生」に続いて、作品に次々登場するオーストラリアのブッシュの森に住む、個性豊かなユーカリ坊やの仲間たちの紹介に入る前に、今少し、シドニーでのメイ・ギブスについてご紹介しておきたいと思います。
作者メイ・ギブスと夫のケリー・オーソリ・が、シドニーのニュートラルベイに面したナットコートの新しい家に,二匹の黒いスコッティ犬ジャミーとピーターを連れてに引っ越してきたのは、一九二五年,シドニーでは秋の初めの二月でした。
二人はそこを終生の住み家ときめ、彼らなりの楽しい暮らしを始めます。二〇年代から三〇年代にかけて、自立した夫婦の心豊かで楽しい暮らし、その頃近所に住んでいた人たちが口をそろえて証言しているように、それは大変ユニークなものでした。

彼らの暮らしぶりを描いた画家のサンドラ・ラロッシュの美しいイラストにジャンチャップマンが短い文を添えた「ある日のメイ・ギブス、ナットコートにて」と題した絵本が、それを生き生きと伝えています。
一九三九年、妻のよき理解者であり、よきパートナーだったケリー・ジエイムス・オーソリが世を去りましたが、夫の死の日でさえ、メイは仕事を休まなかったと伝えられています。大好きなガムナッベービーたちの冒険談を、今日も待っている子供たちために、辛いことはすべて忘れたのです。

海に面したアトリエで、メイの描く「ガムナッツべービーの仲間たちの冒険談」は、オーストラリアのブッシュの森深くに住む生き物たちの、夢のような共存の世界を、いきいきと描き出すものでした
メイは海を見晴るかすそのアトリエで、来る日も来る日も、年をれて仕事を続けました。

リスや、ねずみ、蛙たち、郭公や綺麗な羽のインコも、みんなメイの愛犬ジャミーとピーターの友達でした。近所の子供たちは、いつもポケットに飴玉を入れたメイおばさんと、庭で隠れん坊をするために遊びに来ていました。夜になると、ウオンバット(大ねずみ)やふくろうが、庭の木の茂みから、ひっそりとキャンバスに向かっているメイを窓越しに眺めていたのです。

そして、その家は、今も大切に保存され、記念館となって解放され、彼女のイラスト画や絵本なども展示されています。メイは一九六九年に世を去るとき、その家を国連の、世界の子供たちを護る機関、ユニセフに寄贈して、なにかに役立ててほしい、との遺言を残したのですが、残念ながらユニセフは、不動産は受け取れない規約になっていたので、実現しなかった、ということです。

やがてその家は記念館として保存されました。
規模は小さいながら、庭一面に、メイが育てた花が咲き乱れ、道に面したフェンスには、濃いピンクのつるバラが、ポーチに下りる階段は薄紫のマーガレットやホリーホックス、赤や黄色のパンジーに縁取りされ、裏庭ではオレンジがたわわに実をつけています。花壇では、ブロムやラベンダーが甘い香りを漂わせ、ブーゲンビリアの枝に止まったワライカワセミが、けたたましく鳴き、彼女のアトリエから一望の窓のむこうは、もう真青な海です。  

私が訪れたときも、いつも海は穏やかで、波がひたひたと崖を洗い、海に降りる石段の下に、ボートが1艘つながれていました。
一九六九年、九十二歳でなくなる直前まで絵筆をとり続けたメイが残した言葉は、次のようなものでした。

「人間のみなさま、どうかブッシュの森のすべての生き物たちに親切に、そして花は根っこから引き抜かないでください」
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