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高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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草の戸随想251号2019・3
  グレン・グールドと「草枕」          
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドのピアノでバッハを聴く。近ごろの毎日の日課だ。音の美しさと透明感に目のさめる思いをする。すでに伝説となっている彼の演奏するC.D 何曲かをとりよせて、このところそればかり聴いている。
グールドは私の弟のような年で、三〇年以上も前に、私が音楽の世界に浸ることなど夢にも望めず、あたふたしていた頃、さっさと世を去ってしまった。
彼がバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の演奏で、世界を驚かせたのは一九五五年という。戦後十年。日本はまだかなりぐちゃぐちゃだった。
そのころわたしは戦後初めて共学を許された大学の四回生、子供のころからピアノは習っていたが、入学した大学の文学部のクラスには、ピアノ弾きの学生たちも何人かいて、スコアを見ながらクラシックを聴いて論じる、などというわざをやってのけ、田舎出の女子学生は、コンプレクスでどぎまぎしていた。当時は、小林秀雄のモーツアルト論なども幅を利かせ、杉本秀太郎は二〇歳でピアノを習いだし、リサイタルまで開いた。
だが、グールドのモーツアルト嫌いは有名だ。初期のものはいいが、あとは許しがたい二流になり下がった、長生きし過ぎた、とまで言ったという。ショパンやリストも好みに合わない。ほぼ同時代のビートルズにはその音楽性と歌詞の両方に気むづかしい注文をつけて拒否。
それでも、モーツアルトのピアノソナタ集をCDに録音したのが残されている。それを聴いてまたため息が出た。ピアノソナタ十一番、アンダンテは囁くように、そしてメヌエットのトルコ行進曲はしずしずと心に沁みるように・・バッハの変奏曲や、ピアノ協奏曲も、いまや伝説になっている愛用の異常な低さの椅子に座り、指を飛魚のように動かして比類のない美しさで弾きまくったという彼が、である。学芸会で、早いのがいいとばかりに、トルコ行進曲など一所懸命練習して弾いたのを思い出し(ばかみたい)だったな、と思ってしまった。
かれはモーツアルトと対話しているのだ、と音楽ジャーナリストの伊熊よし子氏は云い、グールドの演奏は天衣無縫ののびやかさで、聴き手に生きる歓びと活力を与えてくれる、と解説しているが、まさにそのとおりで、テンポは彼独自の解釈で、ピアノソナタ八番や十番のアレグロは、疾走するようなテンポで生き生きと弾いている。

その後グレン・グールドと夏目漱石の「草枕」との意想外の結びつきを知って、驚くというより、逆に、なるほど、と感銘を受けた。
それは、この春他界された日本文学研究者ドナルド・キーン氏や、海外の日本文学フアンの「源氏物語」嘆賞とは一味違った、魂の底から響きあうような結びつきだったようだ。
急いで「草枕」を本箱に探したが、もう置いてもいない。私が「草枕」を愛読していたのは、何十年も前の話である。そしてグレン・グールドの存在を知ったのは最近で、命あって、この世に生きていたうちに、知ることができ、間に合ってよかった、と、幸せな気持ちでほっとしているほどのめりこんでしまった。
あらためて「草枕」を図書館へ行って借り出してきた。難しい。明治の知識人はこれを読みこなせたのか、とため息が出るほど難しい。子供のころから祖父の本棚にあった全集に読みふけり、いまでも鴎外より好きだし、興味も持っているが「草枕」は当時でも本当に読みこなせたのだろうか。記憶にないところを見ると、われながら疑わしい。
ー智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。にはじまり、住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまのあたりに写すのが詩、画である。或いは音楽と彫刻である。と主人公は、ずばずばと世捨て人的人生論、幸福論を展開する。グールドもかねて自分にことを「経験を積んだ世捨て人」と称していたらしいから、このあたりから、すでに共感するところがあったのかもしれない。草枕ではここで一転してわが身を振り返りー世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度影がさすと悟ったーと告白する。
ここらへんまでは、なかなかうまいこと表現するなあ、とわかるが、漢文学の素養が乏しいせいか、さらに読み進むと高邁すぎてしかも煩瑣で、読みこなすのにも一苦労だ。
しかし、男性はこうかもしれないが、女はこうはいかない、ということも漱石は知っていた。女の人生は、結婚で百八十度変わることもある。相手は選んだつもりでも、彼を取り巻く環境まで目が届かないこと多く、わたしなども、角を立てたり、情に掉さして流されたり、意地を通して窮屈がられたりしているうちに、人生お終いなんてことになりかけている。今と違い、女に学問などいらない世であればなおのこと、たいていは「人の世をのどかに」もできず「人の心を豊かにも」できず、とどのつまり、すべてつたない宿世、と納得するしかなかった。
それはもうどうでもよいとして、「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と目してよいであろう」などという言辞は、三角の世界にしか生きられなかったグールドを、とくに面白がらせたらしい。本の題名も「三角の世界」というと訳されていた。
こうして「兎角に住みにくい人の世」で孤独なグールドは、遠い異郷の日本に、自分と同質の人間を発見したらしい。近代人同士、極度に高度で洗練された繊細な感性と、磨きぬかれた深い教養に裏付けされた認識を共有できる日本人がいることを、同じ芸術の世界とはいえ、音楽という畑違いの世界に住んだグールドが発見し愛したという事実に、わたしは感動する。
しかし、日本人でも難解な「草枕」という書物を、訳者アラン・ターニー先生はどんな風に訳したのだろう。先生はイギリス生まれで、来日後はICUや聖泉女子大で教鞭をとった日本文学研究者と聞く。多分かなり噛み砕き、核心を掴んだうえで、論理にはお手のもののヨーロッパ人らしく、刈り込んで、読みやすく訳されていたのではないか。題名も「三角の世界」としていた。
一八八二年、グールド五〇歳で脳卒中で死す。死の床の枕もとに、何十年も愛読した英訳「草枕(三角の世界)」に無数の書き込みと棒線をひいた本が置いてあったという。

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