草の戸随想 十二月号 平成三十年 通巻249号
俳句とテロメア・エフェクト 高沢英子
いつのまにか秋風が立つようになり、東京の神宮外苑の銀杏も、黄色一色に染められている。酷暑の夏の影響で、同じ並木でも、夏の間に乾き過ぎたのか、このあたりの欅やカエデの街路樹は葉先が縮かんだように茶色くなって、すがれているのが多く見られるが、銀杏はさすがに強いようだ。
小春日和の日は町をあちらこちら歩いてみる。通りでも地下鉄などでも近ごろは外国の人が目立つようになった。思い思いの軽装で、友人同士、家族連れ、どこに行っても見かけない日はない。日本人より情報に詳しく思われるのにも驚くが、極めて自由な感じで、リュックやカートで,のびのびすいすい効率的に動いている。
世界は本当に狭くなった、と思う。朝毎に聞いているNHKのFM放送でも、早朝、日本の伝統音曲に始まり、続いてヨーロッパ中世から十七,八世紀の古楽、日曜は能楽と、古今東西にわたり多彩である。
しかもそのどれを聞いても、いろいろ教えられたり、古いことを思い出すよすがになったり、あれこれ興味は尽きない。
古楽のチェンバロやリュートの響きが朝の部屋にかろやかに流れ、古い時代の王侯貴族は、贅沢な専横ぶりを発揮してたかもしれないが、おかげで育った文化が豊かに残されるという役割は充分果たしていたのだなあ、などと、いまさら感じ入ったりしながら、とりあえず寝具を片付け、猫の額のようなベランダに出る重い硝子戸をあけ、空を仰ぐ。周りは中小のビルだらけで、空はほんの小さな1画しか見えないが、空気は今のところ爽やかに流れ込んでくる。
そろそろ年賀状の準備も始めなければならないが、年々友人や知り合いがひとり、またひとりと、世を去っていくようになった。著名人も、私の現役主婦世代に活躍していた人たちが、どんどんいなくなっていく。
昨年七月には、聖路加病院の元院長日野原重明先生が、百五歳という長寿を全うされて亡くなられた。百歳を超えてなお、まるで不死身のように生き生きと活動しておられたのだが。
先生は関西学院中等部のご出身だったので、数年前、学院の同窓会が主催した講演会でお話を聞いたことがある。たまたま夫のゼミ生だった人が、東京の同窓会長をしていて、お誘いを受けたので、娘と出席した。
「百歳で、すたすた歩いてはるんですわ。化けもんみたいなもんや」
とご自身も七十歳はとうに越えている会長さんは、平素から歯に衣着せない豪快な方で、笑いながらずけずけと云われ、こちらも、そろそろ手脚がよたついていて笑い事ではない、と思いながら、つられて笑ってしまった。いづれにしても、あやかりたいものだ、と会場に向かった。
講演は、期待以上にすばらしかった。高齢者のお話という区切りで聞くのは間違っていた。内容は見事に整理され、聞き手への気配りがゆき届いてわかりやすく、かつての学院時代の恩師の思い出や、生徒としての感想などご自身の体験を、適当なパネル写真とあわせて、わかりやすく整理され、貴重な資料のかずかずを、年代なども実に詳細に正確に記憶しておられた内容で、余計な感傷をまじえない誠実な話しぶりには無駄がなく、とても充実していた。
現役の医師としてお忙しいのに、講演のほかに、新聞への寄稿もされ、著書もだされている。それらは、健康寿命を保つための心のもちかたを説かれたものが多いが、「長寿の道しるべ」という本では、お医者さまらしく、やや専門的に、健康維持のために、積極的に医学チエックをまめに利用することの大切さを説かれているが、結論として「GDP(国民総生産)より大切なのは、GNH(国民の幸福感)である」といわれ、「国民総幸福量」を論じたアーサー・ブルックの著書を紹介されたりしておられる。
たしかにいくら肉体的に長生きして、お金もどっさり持っていたとしても、充ち足りた気持ちで、人生を楽しむことができなければ、幸福とはいえない。
最近アメリカの分子生物学者エリザベス・ブラックバーンおよび二人の共同研究者によって発見されたテロメアというDNA物質の働きが話題になっている。彼女はこれで、同じ研究者2009年にノーベル医学生理学賞を受賞していて、NHKのクローズアップ現代でも紹介され、「テロメア・エフェクト」という題名で日本でも翻訳書が出されている。体内にあるテロメアというある種の細胞が、健康寿命を大きく左右しているという衝撃的な発見で、それを長く維持するためには、けっして過去を振り返ったり、未来を取り越し苦労して愚痴や不安をにとらわれないこと、今を生き切ることが何より大切と説き「思考を追いかけたり、反芻してはならない」と強調する。
生きがいを求めて活動する多くの高齢者を、被験者として検証した成果なども紹介され、なんらかの目的をもって、日々人生を楽しむことが、テロメアにどれほどの影響をもたらすかを実証してみせたのである。
パリの作家(国籍はアメリカ人)アナイス・ニンの日記の一文を引用して「人生とは、あなたの勇気に比例して大きくもなれば小さくもなる」ともいう。
人生という語を、テロメア、と置き換えれば、たいした勇気もなく生きてきた自分を反省して、立ち直ることも可能かもしれない。いまさら遅いなどと云わずに。明日に向かって。
山本健吉の編集した芭蕉全発句(講談社学術文庫)を、ちかごろよく読んでみるようになったが、一つ気づいたことは、彼の句のほとんどすべてが、なんらかのかたちで、人間のドラマをゆたかに持っている、ということだった。
何百年経っても、色褪せない輝きを放つものが、古典というものだ、と思うが、芭蕉の句はまさにそれで、たった十七字の詩形で、これほど広がりを持った人間世界を描き出せるとは、並の手腕とは言えないことを痛感させられている。
すぐれた感受性をもち、人間性が傑出していたことは、誰しもみとめるところだが、じつはその背後には、古今東西の歴史認識と万巻の古典を繙いた学識と素養が積み重なっている。
それらすべてをふまえたうえでの、軽みと、侘び、寂びの境地、さらに不易流行の信念。思索を重ねた芭蕉が到達した境地は「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」というものだった。
しかし、芭蕉の詩論も、没後、時にあたって弟子に与えたかれの書簡と、忠実な弟子のひとり去来などによって書き遺された聞き書きめいたものに因っている。生前自選句集は一冊も出していないにもかかわらず、弟子たちによって編まれた句集のかずかずが、後世にこれほどの影響力を持って読み継がれているとは。いまさらながら、すばらしいことであると思う。
それにしても、芭蕉は人間の幸福を、どのように考えていたのだろうか。深川に隠棲して間もなく、近くの臨川庵に滞在していた茨城県鹿島の住職佛頂禅師のもとに参禅、指導を受けて熱心に修業したと伝えられている。
実はこれは先ほどのテロメア学説と深い関連性があると考えられる。芭蕉の句作に沈潜するに至る道筋は、こうした瞑想の鍛錬などによっていっそう高められた、といってよいのではないかとわたしは思う。
そういう意味でも、俳諧という日本独自の芸術が、「今ここ」に焦点をあて集中するという点では、世界に類をみない文学創作の技法ではないか、と思うのである。
たまたま日野原先生も御高齢(九十八歳)になられてから句作を始められたときいて、なんとなくわかる気もした。
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