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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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無象風景

処暑、二十四節気の14番目になります。、立秋から2週間後くらいあと、ということですから、残暑もそろそろ終わりを告げるころ、という意味でしょうか。昨日は朝から雨で、午後には上がりましたが、一日家の中でごろごろしていて、夕方太陽がビルの蔭に落ちるころあいを見はからって散歩にでました。
 いつもの十思公園です。裏手の方に、小さな門があってそこから入る細い通路があり通路の脇には草花の茂みがあり、なんの花でしょうか、濃い紫の美しい小花をびっしりつけた蔓草をみつけ、そっと一枝折りとってバッグにいれました。あとで写生をするつもりです。5弁の花びらをつけた直径 1センチにも満たない小花ですが、一茎に10個ほど密集して付いているのです。しかもそれぞれが長-い子房でくきに繋がっています。葉は薄く柔かく、ふちのところはギザギザになっています。東京の町中を歩いていると
街路樹のまわりやビルのまわりのスペース、建築現場の片すみなど至るところに草花や、名の知らない樹木が生い立っていて四季折々に花を咲かせたり、実、をつけたり、思わず立ち止まってしみじみ見とれてしまいます。スマホのカメラで撮るだけだは物足りなくなり、近ごろは、思い立って差支えなさそうなケースの場合、そっと折り取ってあらかじめ持参したビニール袋などに入れて帰り写生をしたりもしていますかねてから敬愛する詩人で医学者木下杢太郎博士は、晩年昭和18年から20年の死の直前まで花の写生をつづけられ872枚の水彩画を残されました。学生時代からこのかたの本はいろいろ持っていて、現在手もとに持っているのは岩波文庫の百花譜百選だけですが、繰り返しあかず披いてみては、そのすばらしさにはとても及びもつかないと嘆息しつつ眺めています。

日曜日で子供連れの家族が2組ほど。桜の古木が何本もあって鬱蒼とした園内は、ビルのあわいということもあり陽射しは殆ど届かず、風が吹き通り、親たちはベンチでr寛ぎ、子供たちは木陰を走りまわっていました。今日は珍しくアブラゼミが啼いていました。
 公園の前の通りはは、ほどほどの広さで、地下鉄日比谷線の小伝馬町駅に通じるエレベーターがあります。朝晩のラッシュ時以外は、ほとんど人とおりもなく、車もめったに通りませんが、「時の鐘通り」という曰くありげな呼び名で、片隅に、吉田松陰の事績がびっつしり書かれた表示板が掲げられています。
 時の鐘とは公園内に保管されている鐘のことで、江戸時代,このあたりから本所日本橋界隈迄、ひとびとに時を告げていた鐘で、当時このあたりにすむひとびとは鐘tつき役のひとには一戸当たり1文づつ鐘付き料を払っていたそうです。づつそのまま昭和通りにて
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無象風景

今日書いた記事を今一度確認して愕然としました。前半部分が全部消えているのです。大きい文字がっかりしています。
 処暑も近く、今日は少し気温も低めで、久しぶりに近所を散歩して、暑さのなかにも、秋の訪れを感じさせるエノコロ草やスズメノヒエなどが街路樹のまわりに細々と生えているのを見つけ、遠い子供のころの思い出や、イエスの言葉を胸に浮かぶままに書きつけたりし、今日の写生はこの猫じゃらしをなんて考えていましたのに、全部消えているのです。読んで下さった方にはとんちんかんですが、今日はこれで終わりにしようと思います。もうすこし、きちんとスキルを身につけなければだめですね。、
 

無象風景

まさに真実ではありますが、人類の長い歴史をみても、人間はなかなかこの言葉を真理と思いつつも体得できず、私などもいつもくだらないことに、わくわくそわわしてきたような気がします。ありません。

無床風景

大きい文字先日道端で水引草を見つけました。そっと摘み取って写生してみました。都会の片隅でちょくちょく見かけるけなげな草花をこれからも写生してみたいと思っているところです。出来れば一日一枚なんて…
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敗戦記念日

大きい文字8月15日は敗戦記念日でした。あれから75年、わたしは15歳でした。心情的に軍国少女などという形容詞はまったく当てはまらないあまのじゃく女学生でしたが、町の軍需工場で、決められた仕事は懸命にやっていました。沖縄姫百合部隊は私たちとほぼ同年の娘達でした。いまも話を聴くと胸がいっぱいになります。
 さて、このあいだブログを書いてから、あっという間に1週間たってしまいました。暑い暑い云ってばかりでは、しょうがないと思いながらも、?10年来経験したことのない暑さに、昼間は外にも出ず、日が暮れてから、のそのそ食糧買い出しなどに出かけます。小さなベランダの鉢植えの草たちもぐったりです。この草たちは実は散歩のついでに、あちらこちらの石のあわいや、ビルの空き地の片すみに茎をのばして花を咲かせている雑草とよばれる草を引っこ抜いてきて植えて作った鉢で、ほんらいは、じょうぶなはずが、このところ、午後の陽に照り付けられ、私の部屋とお隣の部屋から噴き出すクーラーの熱風で、フラフラみたいです。それでも緑の色は鮮やかで、眼を楽しませてくれていますが…そんなわけであれ以来七五三公園もちょっと一服、自殺論論評もはかどりません。
 しかし、きのう、ラジオで夏休みは、子供たちの自殺が多発する時期と報じられていたのを聴きました。なぜ、どうして?子供の自殺は周囲をどれほど悲しませることでしょう。止められるものなら止めたいと思います。
 かつて私の子供のころ、実家に住み込みのお手伝いさんが居て、まだ10代で、わたしや妹の面倒をよく見てくれた人がいました。やがて彼女は縁があって当時日本の植民地だった土地で働く人のもとに嫁ぎ男の子をもうけました。戦のあと、1家で引き揚げたあと夫婦力を合わせて困難な時期を懸命に働いていました。息子も成長し我が家にもちょくちょくたずねてきていました。成績もよく性格も素直そうで、高校を卒業就職したと聞いていました。何年かのち突然その子が旅先で自殺したという知らせが入りました。私はすでに実家を出ていましたが、弔問に駆けつけた母の話では、母親は「なんで死んだんや。なんで死んだんや」と、むすこの死骸にとりすがって泣き叫んでいたということでした。平素はごく穏やかで、いつも笑顔を絶やさないその人が。とわたしもショックを受け、いまだにそれを思い出すと胸が詰まります。
 先日来私が読んできたナターリア・ギンツブルグの小説でも自殺のエピソードがいくつかあります。状況はさまざまです。そしておおむね、ほんとの原因は謎に包まれています。小説はそれをそのままさっと書くだけです。ナターリア独特の手法で。
 読者は考えこもうと無視しようと自由です。
 

緊急事態

立秋

大きい文字連日猛暑と報じられて数日たちました。今日は暦の上では立秋とか、古くから言い慣わされている季節の名称は、かずかずの思い出も絡み、なんとなく懐かしい含みがあるので好きなものですが、この夏は、ウイルス発生で、老いも若きも閉じこもりを余儀なくされて、雨がちの日々が続き、東京も梅雨がいつ明けけたのやら、開けるのやら、わからないうちに猛暑が襲いかかっています。
 暦では立秋だそうですが、今朝も外に出ると、並木道でみんみん蝉が懸命に鳴き、照り付ける日差しの下で、生暖かい風が吹き廻っています。
 ここ数日、集中して読むことにした本が2,3冊たまって、今日も神田錦町の学士会館のロビーに出かけました。土曜日の朝10時、いつもの窓際で2時間ほど、きのうはようやくナタリーア・ギンツブルグ「町へ行く道」は読み終えました。どんな内容なのか、感想をひとことでいうのはむずかしい、、人間が生きるというのは、こういうことなのかもしれない。ひとさまざま、こころの風景もさまざま、どうしようもない、と言ったところで、目下思考停止です。語り手は16歳の少女、運命に翻弄されて生きていますが、じつは大きな事件など何もないのです。
 それはさておき、昨日今日の本命は阪本俊生著「新自殺論」青弓社刊を読むこと。これが私の宿題で、興味深い本ですが、学術書なので、遅々としてはかどりません。私の身辺で、知人たちにも自殺者は何人かいます。人間が自死するというのは、かれらが死を選ぶにいたる力の真実はどこにあるのか、それが彼らが生きていた社会とどうつながっているかの探求は、従来本当に深く追及されてきていない、それを力の及ぶ限り探りたいという恩師の痛切な志を受け継いで書かれた本だということです。これは私もぜひ知りたいと思うのですが、結論はどうなのか、なかなか辿りつけないでいるところです。(実は阪本俊生は私の息子です)
 コロナ禍で、外食は避けようと、昼には帰ってきます。近くのバス停までゆく途中の道筋に、七五三(しめた)というおもしろい命名の小公園があります。七五三というのは、実はこの地で生まれた新島襄の幼名だそうです。ここは安中藩板倉家の下屋敷のあったところとか、彼の父が板倉藩士だったため、生家がこの地にあった、というわけです。規模はそう広くないのですが、多くの樹木が鬱蒼と生い茂り、ところどころにベンチも置かれ、小さな池には緋鯉も泳いでいて緑陰は涼しい風が吹き廻り、都心とは思えない心地よい空間です。そして板倉藩と言えばわたしは舅の弟の妻、つまり夫の義叔母は板倉藩の家老の娘だった、維新後零落してしまっていたが、家名に惹かれて叔父は彼女と結婚、しかも婿養子になってしまい、舅も他の兄弟姉妹も憮然(唖然?)とした、などという話を聴いた事があります。叔父夫婦のその後の運命についても、いろいろ後日談ありで、いづれ書き残しておきたいと思いながら、その説明板をスマホのカメラに収めました。

心の風景

少し大きい文字>昨日から東京も30度を超える盛夏となりましたが、梅雨明け宣言はまだ出ていないようです。強調文2,3日前から蝉の声が聞かれるようになり、ビルの立て込んでいる町中でも、単独でなくミンミンゼミの声がします。
 毎日5000歩くらい散歩してきましたが、体重が一向に増えないので(現在31,5㌔)身長は1メートル48センチに縮んでしまいましたけれども、これではあんまりなので散歩は少し減らして、食事にhちょっと工夫することに。 
 
 それにしても十思公園の記述は、まだ途中で中途半端なままですが、夏休みということにして、秋からまた、このブログにもっと書き慣れてきたら纏めたいと思っています。牢屋敷の生々しい記録。、乃木大将の殉死への世論のさまざま。江戸の町に時を告げ、この公園に今も保存されている石鐘(石製ではありませんそういう名なのです)、江戸から明治への歴史の流れへの思いは尽きませんから。
 日曜日に久しぶりに神田の学士会館に出かけました。マンションのすぐ近くに1時間おきくらいに来る千代田区の循環バス「かざくるま「」で、神田錦町で降りると、会館はそう遠くありません。ロビーで午前中の2時間ほど持参したイタリヤの女性作家ナターリア・ギンツ゚ベルクの長編小説「町へ行く道」望月紀子氏訳、未知谷出版を読み始め(実は再読ですが)全部読み切れず、明日に持ち越すことにして帰ってきました。錦町界隈は、江戸の武家屋敷が多くあったところとか、あのあたりの風景も格別です、本の感想とともに、また紹介したいと思います。、
 

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