FC2ブログ

プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
FC2ブログへようこそ!
 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


メールマガジン オルタのひろば13号    2019年㋄20日
メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち  高沢 英子
⑵ガムナッツベイビーの誕生
 前回紹介したオーストラリア在住のドキュメンタリ映画のプロデューサー、モーリン・ウォルシュ夫人は、ギブスの生前に、そのインタビューをもとに短編ドキュメントフイルムを製作していた。1975年の国際婦人年のため、6人の女性の人生物語の映像ドキュメント化する企画に加わった時、ウォルシュ夫人はメイ・ギブスのインタビュー作品を選んだが、企画が結局実現しなかったこと、オーストラリアのこどもたちにあれほど人気のあった絵本作家メイ・ギブスについて、伝記的ドキュメントがほとんど無いことを非常に残念に思っていたことが、みずから彼女の伝記を書くきっかけとなったと告白している。
 20年後の1986年、ニューヨークの国際ドキュメント映画フェスティバルの伝記部門でこの短編ドキュメントも受賞している。
 あらためてモーリン・ウォルシュ夫人を紹介すると、オーストラリアの四世世代に属する人で、1960年のテレビシリーズ、WHIPLASH のクルーと結びついた50の劇場をバックグラウンドにして 北アメリカとオーストラリアの撮影所で、プロデユーサー、ディレクター、台本作家としてのキャリアを積んだひとである。引退後クイーンズランドの湿潤地帯で、のちに『ガムナッツたちの母』と題した伝記を書いたことは前回紹介したとおりである。
 さらに、オーストラリアでは、いわば日本のサザエさん並みに、子供たちばかりでなく、大人たちにも親しまれ、愛されているこの地独特の自然のなかで、植物や生き物たちが繰り広げるユニークなファンタジーの世界が、いまだに日本には殆ど紹介されていないうえ、作者のメイ・ギブスの存在すら知られていないことも申し上げた。
 ウォルシュ夫人は、その著『ガムナッツたちの母』のはじめに、すでに80歳を超える高齢ながら、現役で物語を書き続けていたメイ・ギブスが、彼女のインタビューに答えて、実に楽しげに生き生きと語った言葉をそのまま、冒頭に引用して添えている。
 「そもそも、このブッシュの赤ん坊たちがわたしを見つけたのか、それともわたしが、このかわいい生き物たちを見つけたのか、どっちなのか。いまじゃ、思い出せなくて云うことは難しいのよ」
 彼女が仕事を始めた頃、オーストラリアでは、白人の移民たちが、いつまでも故国を忘れられず、郷愁にとりつかれながら、失われた自分たちのアイデンテティに縋り付くようにして暮らしていた。
 四千年も前からオーストラリアに住みついていた、といわれるアボリジニたちが語り継いできた豊かな伝説や、素晴らしい自然環境や、めずらしい生き物たちに出会いながら、あいかわらず慣れ親しんだヨーロッパの暮らしや慣習への愛着を抱いて、この未知の土地の自然が持つ独特の美しさや素晴らしさに目を向けず、ただただ野蛮なものと斥けてきた。 子どもたちにも、母国のファンタジーに出て来る生き物や妖精が繰り広げる優雅な物語――昔ながらのイギリスのお伽噺の中に出て来るアイルランドのレプラコーン(黄金を隠し持っているいたずら好きの小妖精)や、ウエールズのケルピイ(水の精)、スコットランドのブラウニー(夜中に家事を手伝う妖精)、それからイギリスのピクシー(いたずら好きの小妖精)などの妖精たちや、小鬼たち、美しく優雅な花たち、傘の破れたキノコや、サフランの花、秋には葉っぱを赤く塗る小人たち、豪華な花の衣装をまとった妖精たち、黄昏に漂う柔らかい淡青色の蝶の羽、などが描かれた絵本を、本国から取り寄せて、一世紀以上も、当りまえのように理想的な読み物として、押し付けようとしていた。

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかやパレスチナのじりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかや、じりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)
 やがてこれが本になる。『ユーカリのベイビーたち』と『ユーカリ花のベイビーたち』というのが、それらの本の最初のオーストラリアでのタイトルだった。メイは、イラストと文章の両方を書きはじめる。
 やがて彼女の作品はオーストラリア本国ばかりでなく、イギリスにも受け入れられ、批評界の反応は、素晴らしいものとなった。1917 年、ロンドンの『サンデータイムズ』で書評を大きく取り上げた、とウォルシュ夫人は全文を紹介している。
◆ユーカリベイビーとユーカリ花のこどもたち、これはこれまで市場に出た冊子のなかでもっともはっきりした、オーストラリア独自のふしぎな風土的な二つの創作物だ。聡明なアーティストが、かの大陸に以前からひろく見られたごく普通のものたちを学びとり、それをもとに、こうした小さな可愛い空想の産物を、かくも細密に描き出す日が来るのは、あまりにも遅すぎたくらいだ。メイ・ギブス嬢は、はじめてこうした世界を開いてみせた作家だ、とためらうことなく誇ることができる。我々は彼女と共に、このもう一つの世界を、さらに奥深く知ることを待望している――
  ロンドン 『サンデータイムズ』書評欄 1917年10月7日付
 続いて同年、彼女が住んでいたオーストラリアのシドニーでも、『イヴ二ング・ニュース』が次のような紹介文を掲載した。

◆ミス・メイ・ギブスというガムナッツベイビーの創作者は、これらの小創造物を、賢明にも、まるでチエッカーのババ抜きのようなやりかたで、あたかもシギ鳥みたいにアイデアを忍び込ませて物語を進めた。これらの小さな生き物たちはアイルランドのお伽噺のレプラコーンと同じカテゴリーに属しているが、このアーティストは自分の創りだした小さな生きものたちに、何倍もの個性を与えている。童話と云うにはあまりにも写実的過ぎるとしても、彼女はあらたなオーストラリアの民俗伝承の創始者として残ることだろう。
 (注:シギ鳥は水辺の湿地などにいる鳥で、西洋料理ではよく食べられるが、羽が白黒褐色の細かいまばら模様で、枯草と見まがう見つけにくい色をしている。)
 では、これらの物語の主人公たち、ユーカリの実のサングルポットとカッドゥルパイは、ギブスのファンタジーのなかでどんな活躍をするのだろうか。
 次回は、ギブスの創造物たちが、ブッシュの森を舞台に仲良しの生きものや草木や花々と、どのような世界を繰り広げるのか、すこしずつ具体的に紹介してみたいと思う。   

Australia)

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年に

メールマガジン オルタのひろば13号    2019年㋄20日
メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち  高沢 英子
⑵ガムナッツベイビーの誕生
 前回紹介したオーストラリア在住のドキュメンタリ映画のプロデューサー、モーリン・ウォルシュ夫人は、ギブスの生前に、そのインタビューをもとに短編ドキュメントフイルムを製作していた。1975年の国際婦人年のため、6人の女性の人生物語の映像ドキュメント化する企画に加わった時、ウォルシュ夫人はメイ・ギブスのインタビュー作品を選んだが、企画が結局実現しなかったこと、オーストラリアのこどもたちにあれほど人気のあった絵本作家メイ・ギブスについて、伝記的ドキュメントがほとんど無いことを非常に残念に思っていたことが、みずから彼女の伝記を書くきっかけとなったと告白している。
 20年後の1986年、ニューヨークの国際ドキュメント映画フェスティバルの伝記部門でこの短編ドキュメントも受賞している。
 あらためてモーリン・ウォルシュ夫人を紹介すると、オーストラリアの四世世代に属する人で、1960年のテレビシリーズ、WHIPLASH のクルーと結びついた50の劇場をバックグラウンドにして 北アメリカとオーストラリアの撮影所で、プロデユーサー、ディレクター、台本作家としてのキャリアを積んだひとである。引退後クイーンズランドの湿潤地帯で、のちに『ガムナッツたちの母』と題した伝記を書いたことは前回紹介したとおりである。
 さらに、オーストラリアでは、いわば日本のサザエさん並みに、子供たちばかりでなく、大人たちにも親しまれ、愛されているこの地独特の自然のなかで、植物や生き物たちが繰り広げるユニークなファンタジーの世界が、いまだに日本には殆ど紹介されていないうえ、作者のメイ・ギブスの存在すら知られていないことも申し上げた。
 ウォルシュ夫人は、その著『ガムナッツたちの母』のはじめに、すでに80歳を超える高齢ながら、現役で物語を書き続けていたメイ・ギブスが、彼女のインタビューに答えて、実に楽しげに生き生きと語った言葉をそのまま、冒頭に引用して添えている。
 「そもそも、このブッシュの赤ん坊たちがわたしを見つけたのか、それともわたしが、このかわいい生き物たちを見つけたのか、どっちなのか。いまじゃ、思い出せなくて云うことは難しいのよ」
 彼女が仕事を始めた頃、オーストラリアでは、白人の移民たちが、いつまでも故国を忘れられず、郷愁にとりつかれながら、失われた自分たちのアイデンテティに縋り付くようにして暮らしていた。
 四千年も前からオーストラリアに住みついていた、といわれるアボリジニたちが語り継いできた豊かな伝説や、素晴らしい自然環境や、めずらしい生き物たちに出会いながら、あいかわらず慣れ親しんだヨーロッパの暮らしや慣習への愛着を抱いて、この未知の土地の自然が持つ独特の美しさや素晴らしさに目を向けず、ただただ野蛮なものと斥けてきた。 子どもたちにも、母国のファンタジーに出て来る生き物や妖精が繰り広げる優雅な物語――昔ながらのイギリスのお伽噺の中に出て来るアイルランドのレプラコーン(黄金を隠し持っているいたずら好きの小妖精)や、ウエールズのケルピイ(水の精)、スコットランドのブラウニー(夜中に家事を手伝う妖精)、それからイギリスのピクシー(いたずら好きの小妖精)などの妖精たちや、小鬼たち、美しく優雅な花たち、傘の破れたキノコや、サフランの花、秋には葉っぱを赤く塗る小人たち、豪華な花の衣装をまとった妖精たち、黄昏に漂う柔らかい淡青色の蝶の羽、などが描かれた絵本を、本国から取り寄せて、一世紀以上も、当りまえのように理想的な読み物として、押し付けようとしていた。

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかやパレスチナのじりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかや、じりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)
 やがてこれが本になる。『ユーカリのベイビーたち』と『ユーカリ花のベイビーたち』というのが、それらの本の最初のオーストラリアでのタイトルだった。メイは、イラストと文章の両方を書きはじめる。
 やがて彼女の作品はオーストラリア本国ばかりでなく、イギリスにも受け入れられ、批評界の反応は、素晴らしいものとなった。1917 年、ロンドンの『サンデータイムズ』で書評を大きく取り上げた、とウォルシュ夫人は全文を紹介している。
◆ユーカリベイビーとユーカリ花のこどもたち、これはこれまで市場に出た冊子のなかでもっともはっきりした、オーストラリア独自のふしぎな風土的な二つの創作物だ。聡明なアーティストが、かの大陸に以前からひろく見られたごく普通のものたちを学びとり、それをもとに、こうした小さな可愛い空想の産物を、かくも細密に描き出す日が来るのは、あまりにも遅すぎたくらいだ。メイ・ギブス嬢は、はじめてこうした世界を開いてみせた作家だ、とためらうことなく誇ることができる。我々は彼女と共に、このもう一つの世界を、さらに奥深く知ることを待望している――
  ロンドン 『サンデータイムズ』書評欄 1917年10月7日付
 続いて同年、彼女が住んでいたオーストラリアのシドニーでも、『イヴ二ング・ニュース』が次のような紹介文を掲載した。

◆ミス・メイ・ギブスというガムナッツベイビーの創作者は、これらの小創造物を、賢明にも、まるでチエッカーのババ抜きのようなやりかたで、あたかもシギ鳥みたいにアイデアを忍び込ませて物語を進めた。これらの小さな生き物たちはアイルランドのお伽噺のレプラコーンと同じカテゴリーに属しているが、このアーティストは自分の創りだした小さな生きものたちに、何倍もの個性を与えている。童話と云うにはあまりにも写実的過ぎるとしても、彼女はあらたなオーストラリアの民俗伝承の創始者として残ることだろう。
 (注:シギ鳥は水辺の湿地などにいる鳥で、西洋料理ではよく食べられるが、羽が白黒褐色の細かいまばら模様で、枯草と見まがう見つけにくい色をしている。)
 では、これらの物語の主人公たち、ユーカリの実のサングルポットとカッドゥルパイは、ギブスのファンタジーのなかでどんな活躍をするのだろうか。
 次回は、ギブスの創造物たちが、ブッシュの森を舞台に仲良しの生きものや草木や花々と、どのような世界を繰り広げるのか、すこしずつ具体的に紹介してみたいと思う。   

Australia)

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年に


メールマガジン オルタのひろば13号    2019年㋄20日
メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち  高沢 英子
⑵ガムナッツベイビーの誕生
 前回紹介したオーストラリア在住のドキュメンタリ映画のプロデューサー、モーリン・ウォルシュ夫人は、ギブスの生前に、そのインタビューをもとに短編ドキュメントフイルムを製作していた。1975年の国際婦人年のため、6人の女性の人生物語の映像ドキュメント化する企画に加わった時、ウォルシュ夫人はメイ・ギブスのインタビュー作品を選んだが、企画が結局実現しなかったこと、オーストラリアのこどもたちにあれほど人気のあった絵本作家メイ・ギブスについて、伝記的ドキュメントがほとんど無いことを非常に残念に思っていたことが、みずから彼女の伝記を書くきっかけとなったと告白している。
 20年後の1986年、ニューヨークの国際ドキュメント映画フェスティバルの伝記部門でこの短編ドキュメントも受賞している。
 あらためてモーリン・ウォルシュ夫人を紹介すると、オーストラリアの四世世代に属する人で、1960年のテレビシリーズ、WHIPLASH のクルーと結びついた50の劇場をバックグラウンドにして 北アメリカとオーストラリアの撮影所で、プロデユーサー、ディレクター、台本作家としてのキャリアを積んだひとである。引退後クイーンズランドの湿潤地帯で、のちに『ガムナッツたちの母』と題した伝記を書いたことは前回紹介したとおりである。
 さらに、オーストラリアでは、いわば日本のサザエさん並みに、子供たちばかりでなく、大人たちにも親しまれ、愛されているこの地独特の自然のなかで、植物や生き物たちが繰り広げるユニークなファンタジーの世界が、いまだに日本には殆ど紹介されていないうえ、作者のメイ・ギブスの存在すら知られていないことも申し上げた。
 ウォルシュ夫人は、その著『ガムナッツたちの母』のはじめに、すでに80歳を超える高齢ながら、現役で物語を書き続けていたメイ・ギブスが、彼女のインタビューに答えて、実に楽しげに生き生きと語った言葉をそのまま、冒頭に引用して添えている。
 「そもそも、このブッシュの赤ん坊たちがわたしを見つけたのか、それともわたしが、このかわいい生き物たちを見つけたのか、どっちなのか。いまじゃ、思い出せなくて云うことは難しいのよ」
 彼女が仕事を始めた頃、オーストラリアでは、白人の移民たちが、いつまでも故国を忘れられず、郷愁にとりつかれながら、失われた自分たちのアイデンテティに縋り付くようにして暮らしていた。
 四千年も前からオーストラリアに住みついていた、といわれるアボリジニたちが語り継いできた豊かな伝説や、素晴らしい自然環境や、めずらしい生き物たちに出会いながら、あいかわらず慣れ親しんだヨーロッパの暮らしや慣習への愛着を抱いて、この未知の土地の自然が持つ独特の美しさや素晴らしさに目を向けず、ただただ野蛮なものと斥けてきた。 子どもたちにも、母国のファンタジーに出て来る生き物や妖精が繰り広げる優雅な物語――昔ながらのイギリスのお伽噺の中に出て来るアイルランドのレプラコーン(黄金を隠し持っているいたずら好きの小妖精)や、ウエールズのケルピイ(水の精)、スコットランドのブラウニー(夜中に家事を手伝う妖精)、それからイギリスのピクシー(いたずら好きの小妖精)などの妖精たちや、小鬼たち、美しく優雅な花たち、傘の破れたキノコや、サフランの花、秋には葉っぱを赤く塗る小人たち、豪華な花の衣装をまとった妖精たち、黄昏に漂う柔らかい淡青色の蝶の羽、などが描かれた絵本を、本国から取り寄せて、一世紀以上も、当りまえのように理想的な読み物として、押し付けようとしていた。

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかやパレスチナのじりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)

 子供たちは、自分たちの環境が、こうした特殊なおとぎの国ではないと思いつつも、それに従っていた。私がこの地に住んでいた1990年代でも、そうした育ち方をした世代がまだ存在していて、土着の話を話題にするのは上品ではない、と躾けられたせいで、ある種の階級意識にとらわれていた。
 たしかに本国イングランドへのあこがれを捨てきれない文化が存在していることは、当時なお、わたし自身ことあるごとに感じさせられていた。
 メイが仕事を始めた20世紀初頭、オーストラリア独自の童話の本もぼつぼつ出はじめたときでさえも、土着のなかではおとなしめの動物が、家ウサギと仲良く遊び、可愛いい野生の花々が仄暗い森の中や、ヨーロッパ風の菫たちに混じって群生して、立派なドレスをまとった妖精が優雅にそのなかを動き回る物語が受け入れられていた。
 イラストレーターとして仕事を始めたメイ・ギブスも、はじめのうちは、他の作家のオーストラリアをテーマにした作品に、魅力的だが型どおりの、純粋なイギリス風のシーンに置き換えたイラストを添えねばならなかった。
 しかし、やがて彼女のイマジネーションの中で、ゆっくりとオーストラリアのブッシュの森のお伽噺の世界が育ち始める。昔から森に住みついている被創造物たちが、彼女のイラストの中に招かれざる客のように、こっそり忍び込んできはじめたのである。
 1913年、これらのユーカリの実たちが、彼女のイラストに初めて登場する。次の年には、ユーカリの実だけでなく、野生の花のベイビーも描き加えた本の栞と、表紙絵も世に出た。
 時を同じくして、第一次大戦に参戦していたオーストラリアで、ギブスのこうした一連の作品が、戦地向けの慰問品にこっそり忍び込ませて、さかんに送られている。今では貴重なコレクター品目になっているそうだが、当時の前線でよく見られたものだったらしい、とウォルシュ夫人は紹介している。
 北フランスの泥まみれの塹壕のなかや、じりじりと陽光に焼かれる乾いた大地の上で、疲れ果てた兵士たちは、赤十字の小包のなかに、手編みのソックスやウールと羊の皮で仕立てた土地独特のつば付き帽子といっしょに入れられていた、メイ・ギブスの愛くるしいユーカリ坊やの絵と共に、可愛い高慢ちきなソネット風メッセージを受け取って喜んだものだという。メッセージはおよそつぎのようなものだった。
  ぼくらはユーカリの実
  ぼくらは戦さに行くところだ
  敵はきっと きっと
  やっつけてやるぜ!
   (National Museum of Australia)
 やがてこれが本になる。『ユーカリのベイビーたち』と『ユーカリ花のベイビーたち』というのが、それらの本の最初のオーストラリアでのタイトルだった。メイは、イラストと文章の両方を書きはじめる。
 やがて彼女の作品はオーストラリア本国ばかりでなく、イギリスにも受け入れられ、批評界の反応は、素晴らしいものとなった。1917 年、ロンドンの『サンデータイムズ』で書評を大きく取り上げた、とウォルシュ夫人は全文を紹介している。
◆ユーカリベイビーとユーカリ花のこどもたち、これはこれまで市場に出た冊子のなかでもっともはっきりした、オーストラリア独自のふしぎな風土的な二つの創作物だ。聡明なアーティストが、かの大陸に以前からひろく見られたごく普通のものたちを学びとり、それをもとに、こうした小さな可愛い空想の産物を、かくも細密に描き出す日が来るのは、あまりにも遅すぎたくらいだ。メイ・ギブス嬢は、はじめてこうした世界を開いてみせた作家だ、とためらうことなく誇ることができる。我々は彼女と共に、このもう一つの世界を、さらに奥深く知ることを待望している――
  ロンドン 『サンデータイムズ』書評欄 1917年10月7日付
 続いて同年、彼女が住んでいたオーストラリアのシドニーでも、『イヴ二ング・ニュース』が次のような紹介文を掲載した。



  

 








  

 




スポンサーサイト



(4)ユーカリ坊やとブッシュの森の仲間たち
 さて、いよいよユーカリ坊やと森の仲間たちや、かれ等が繰り広げる多種多様な冒険のあらましを追ってみましょう。
 ドングリのような帽子をかぶった裸ん坊の双子のベイビー、サングルポットとカッドゥルパイは、もともと兄弟ではありません。しかし、あるハプニングで、とても親密な義兄弟となるという設定です。そしてふたり仲良くオーストラリア特有の灌木(ブッシュ)の森の探検の旅に出て、森に住むさまざまな生きものたちと愉快な交歓をくりひろげるというのがこの物語の始まりです。
 このそもそものはじまりから、メイの―すべての生きものたちはたがいに楽しく共存して生きてほしい―という願いが、こっそり忍ばされているように思います。
 それはハプニングといっても、ごくごくなんでもない森にありがちの、まさに自然のなせる風のいたずらからでした。
 生まれて数時間しか経っていない小さなユーカリの実カッドゥルパイは、ある日吹きつけてきた大風でお母さんの腕からもぎ離され、空高く舞い上がり、蜘蛛の巣に引っかかります。地面に落ちないで済んだとほっとしたのもつかの間、老眼の年寄鳥がコガネムシかなんかの幼虫と見まちがえ、あわや食べようとしているところを見たひとりの大人の木の実が、蛇が来たぞ!と叫んで追い払います。
 そしてこの親切な木の実はクモの巣の中で冷え切って泣いているベイビーを家に連れ帰るのですが、そこは実はもう一人のベイビー、サングルポットの家で、親切な木の実はサングルポットのお父さんだった、という話です。そして二人は忽ち仲良しになり、やがてイラストに見られるような大きくころころ肥った少年たちに成長します。
 これがそもそものはじまりですが、ある日、彼らの近所に一匹の賢い年寄のワライカワセミがやってくるのです。一帯の花々や木の実たちがみんな彼の話を聞きに集まるところから物語は動き始めます。
 さてこのワライカワセミの広く見てきたという見聞話のなかみは、主として「人間」という生きものについての知識でした。
 人間は風のように強く、川のように動きが早く、太陽のように強烈だ。といい、彼らは棒をこすり合わせて火を作り出す。まるで山火事のように、かれらは火が好きなんじゃ、オスの人間はそれを持ち歩いて鼻か煙を出し、鳥のように口笛を吹き、蛇のように邪悪で、たくさん皮を持っていて、しょっちゅう取り換えておる。皮を全部脱いだときの彼らは青い蛙みたいにみえるのさ、とざっとこんな風に語るというわけです。
 とにかくメイの童話作品の特徴は、それがけっしてただの思い付きで組み立てられたものではなく、自然の生きものたちの生態を的確にとらえ、人間世界にも当てはまるようなエピソードのかずかずの展開で、この地球で生き抜く知恵を学び、ともに共存してゆかねば、という作者自身の熱い理念がつねに込められていると感じられることです。イラストも写実的ながら、いつ見ても飽きない独特の風味をそなえています。
 なにげない楽しい遊びのなかにも容赦なく入って来る過酷な運命、でもそれを素直にうけいれ、たくましく生き抜いてゆく知恵。ときには豊かな人生経験や人間社会の仕組みが巧みに取り入れられているのが興味深い点です。エピソードのいくつかを、すこしづつ紹介できれば、と思います。
 (エッセイスト)
オルタのひろば11号     2019年 ㋂20日
【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】高沢英子
⑴ 序にかえて           
オーストラリアの南東部、美しいタスマニア海に面したニューサウスウエールズ州の州都シドニー、美しい湾に沿って町が広がり、人口はオーストラリア第一とか、気候も比較的温暖な住みよい都市だが、20年ほど前、わたしはこの街で、息子の家族と共に一年ほど暮らした。
内海は波も静かで、向こう岸の住宅地ニュートラルベイへ渡るための船が、毎時定期的に出ていた。
その船は岬の突端に建つ、デンマークの建築家ヨーン・ウッソン設計のユニークな屋根のオペラハウスを眺めながら、ゆっくりと滑るように向こう岸へ航行する。

そしてニュートラルベイの住宅地の一角に、イギリス生まれの絵本作家、メイ・ギブス(1887年~1969年)の、花に包まれたアトリエ付きのこじんまりした家が、今も大切に保存されている。
彼女はその家で、20世紀の初めころから、死の年まで、同じオーストラリア移民の子どもたちのために、サングルポットとカッドゥルパイと名づけたをユーカリの実の坊や(ガムナッツべィビ―)と、土着の動植物たちがくりひろげる楽しい冒険ファンタジ-を、イラストを添えて描き続け、あらたに、この地に住むことになった子供たちばかりでなく、大人たちにも、自分たちが住む新天地のユニークな風土に目を開いて、土地独特の風土を、愛と関心をいだいて楽しむよろこびを呼び覚ましたのだった。
わたしは1990年代にシドニーで暮らしていたとき、現地の主婦たちから、これら「ガムナッツベイビー」について、多くの資料や本を見せて貰い、その可愛い主人公たちのキャラクターや、ブッシュの森の生きものたちの魅力を余すところなくフアンタジーとして描き出したメイ・ギブスの才能と、愛情あふれる感性に心惹かれた。
そして、さらに、このメイ・ギブスの伝記を書いたモーリン・ウォルシュ夫人の著書を紹介されたが、その内容は非常に興味深いものだった。
モーリン・ウォルシュ夫人は、元ドキュメンタリー映画のプロデューサーということで、当時はすでに引退し、オーストラリア北部の、太古そのままの動植物が生息するといわれるクィーンズランドの湿潤な熱帯地域で、余生を楽しんでいるということだったが、直接電話で話をすることができ、ぜひ日本でも、本を、訳してひろく知らしめてほしい、という希望を託され長年その思いを抱きながら機会が得られずにきたが、今回オルタ誌上で、それらを、まずは翻訳というかたちではなく、童画作家メイ・ギブス及びその作品「ガムナッツベイビ-」のもろもろの内容を、ウォルシュ夫人の著書を参照しながら紹介する、というかたちで初めてみたら、という提案を編集部のほうでいただいたので、まずは取り組むことにした。
4歳でオーストラリアに両親と共に移住したメイは、画家として自立することを願い、1901年から母国イギリスで教育を受け、帰国したものの、1909年再度ロンドンにわたって、ロンドンの出版社で働きながら女性の権利を訴える漫画を描いたりして婦人運動にもかかわっている。だがメイは婦人運動については、飽くまでもオブザーバーにとどまっていたが、同じ下宿にいたレン・ヒームスという女性と出会い、忽ち親しくなる。電話交換手として働いていたレンは、熱心な社会主義者だったが、メイとはたがいに最初から意気投合し、結局生涯の友として、イギリスの気候が体になじまなかったメイを助け、メイがオーストラリアに帰るとき彼女も共にオーストラリアに渡っている。
その間、オーストラリアは、金鉱資源によるゴールドラッシュ、博覧会開催など、豊かな資源をもとに、イギリス自治領の地歩を着々と固め、1901年には女性の選挙権を認め、1908年には早くも高齢者と障碍者に扶助料給付制度を設け、1913年にはキャンベラを首都と制定し、反面白豪主義という手前勝手な制度を定めるなどして、いわば近代国家の発展期にあった。
ともあれ、オーストラリアに帰ったメイは、やがて雑誌や新聞に独自のイラストを描いて認められるようになり、念願の自立を果たす。のちにはよき伴侶もえて、シドニー湾を一望するニュートラルベイに、ささやかなアトリエ付きの家を建て、自然を友にしてガムナッツベイビ―の母としての立場を確立するのである。
残念ながら、これらの作品もメイ・ギブスの名も、日本では、いまだあまり知られていない。1,993年に毎日新聞社の元記者だった
伊藤延司氏が日本に滞在していたオーストラリア女性ライター、マーガレット・プライスさんと共著で毎日新聞社から「ブッシュベイビーズ、メイギブス」という美しい絵入りの訳詩画集を出している。伊藤氏が筆者の大学の後輩というご縁もあって、神楽坂のお仕事場を訪ね、お二人からお話を聞いたこともあるが、あとは、今は亡き詩人矢川澄子さんの手になる1冊の訳本くらいしか私は知らない。
今後、日本の子供たちにも、もっと、このしっかりしたデッサンと美しい色彩でオーストラリアのブッシュの森の花々や、生きものたちの世界を、生き生きと描いた楽しいフアンタジー物語が、ひろく知られたらいい、と思っている。

 | ホーム |