草の戸随想十二月
「大つごもり」 高沢英子
新年はせめて晴れやかであってほしいと願うものの、このところ世界は不穏で、これからどうなるものやら見定めがたい今日この頃である。御代も変わることが本決まりになり、昭和はいよいよ遠ざかりつつある。
そしてこのところ連日届く喪中のご挨拶状もばかにならない数で、寂しい思いをしている。戦争を知る人たちがこうして次々世を去ってゆくのは残念だけれどもしかたがない。
ノーベル賞の授与式に原爆被爆者のひとたちが出席したとのニュースが流れたが、これに関しては将来世界が良識をとり戻すことができるかどうか、先行きはあくまでも不透明で、不安は消えない。
このさき孫たちの世代の人生はどうなるのだろうか、そのまたさきは?だれも予測はつかず、しあわせでいられますように、と祈ることしかできない。
つねづね地球温暖化を心配していたら、暮れ近くなってにわかに寒波が襲来し、東京の空も重苦しい雲がたちこめ、肌を刺す冷たい風が吹き、この時期に晴れた日にはベランダから美しく冠雪した富士のすっきりした頭がビルのあわいに見られるのだが、二,三日前の朝ふと見るとまるで毛糸帽を冠っているようにもこもこしているので驚いた。娘に言うと、きっと吹雪いているのでしょうという。
テレビのニュースでタスマニアで雪が降ったと聞いて仰天した。赤道を隔てた南の国で、お正月やクリスマスには、水着姿でアイスクリームをなめているような土地に雪が降るなんて?多少高地のことなのだろうが、何年も前しばらく暮らしたシドニーでは、クリスマスに街で見かける汗だくのサンタクロースを気の毒、と話し合ったのを思い出した。
カリフォルニアの山火事もいまだに収まる気配が見られない。
エルサレムでは聖地争いが再燃し、北の国は巨費を惜しげもなく投じてミサイルや核の技術を磨くことに専念。粗末な木造船で、寒風吹きすさぶ海の上をさすらっている人たちは放念されているのだろうか。
理解しがたいことばかり起きるのを見ながら、平成の年を送ることになりそうである。
それはさておき、天地がもう少しおだやかに推移していたころの日本の大晦日や新年の世情を描いた絵や随想、物語はさまざまあると思うが、私の知っている代表的なものに井原西鶴の「大つごもり」と樋口一葉の同名の小説がある。
前回の江戸女流作家只野真葛に次いで、樋口一葉の作品を読んでみた。時節柄「大つごもり」を選んで、明治の東京の
町びとたちの暮らしのあれこれを目に浮かべながら、胸に沁みる思いで読んだ。
井原西鶴の「世間胸算用」にも大晦日の笑えぬ悲喜劇を描いた作品が有るが、西鶴の面白うてやがて悲しき才覚の見え隠れするものとは違い、心に沁みるリアルな短編小説のかずかずは市井の片隅で懸命に生きる人々を描いて余すところがない。語り手の情景描写に登場人物おのおのの語りが織り込まれ、まるで手に取るように話が展開し、息もつかせず事が運び、忘れがたい印象と余韻を残す短編小説の見本のような作品だ。
すでに読まれた方もあろうが、あらすじを御紹介しておく。
幼くして両親を亡くし、細々と八百屋商売で食べていた貧しい伯父夫婦に育てられたお峰という娘が主人公。女中奉公の先は町内きっての大金持ちだが家のことは女房まかせの主人と、強欲で意地の悪い御新造に、贅沢三昧のその娘たちと先妻の残した放蕩息子石之助の家庭。
かたや病に倒れた伯父の一家は逼塞し、年の暮れに、高利貸から借りている借金の返済もままならず、延滞料としてどうでも払わねば済まぬ二円の工面もつかず悩んでいる。八歳の息子が蜆売りの行商で父親の薬代を稼いでいる有様。大晦日が迫り高利貸の延滞料二円を主家で借りてくれるようすがられ、お峰は必死に主人に頼みおくが、約束の大晦日の朝、聞いた覚えないと撥ねつけられる。昼も過ぎ子どもが金を貰いに来る時刻が迫り絶望したお峰は、主人、御新造それぞれ出払って娘たちは庭で羽根つきに余念なく息子は居間の炬燵で昼寝というすきをみて、御新造が金を仕舞ってある抽斗から二円だけ盗み出し、取りに来た子供に渡してしまう「見し人なしと思えるは愚かや」(とはなにやらいわくありげな伏線だ。)さて石之助は、親が帰宅するや正月の遊びの大金をせしめると、継母に「お母さまご機嫌よう良い年をお迎えなされませ。左様ならば参ります」とわざとらしく暇乞いして姿を消す。御新造が年末の金仕舞いと抽斗をあけるのを見てお峰は発覚すれば死ぬ覚悟をきめたが、中はもぬけの殻「引出しの分も拝借いたし候」との石之助の置手紙が一枚「孝の余徳は我知らず石之助の罪と成りしか、いやいや知りてついでに冠りし罪かも知れず・・後の事知りたや」で幕が閉じられる。盗みという不祥事ながら胸のすくようなどんでん返し、継子ゆえのはぐれ者一家の鼻つまみ石之助のこころもどこかあたたかい。
樋口一葉は、明治5年、幕末に山梨から志を抱いて上京した両親のあいだに、兄と姉に続いて次女として現在の東京都千代田区の東京府庁構内の長屋で生まれた。時代は変わり一家の運命は波乱に充ち、早逝した兄に次いで父を失い一葉は十七歳で家長として一家を支えねばならない重荷を負う。向学心に燃えて和歌や古典の修養を身につけていた一葉は、ものを書くことで生計を立てようと志し、当時東京朝日新聞の小説記者であった半井桃水の指導を受け、小説を書き始める。
師の桃水へのひそかな思慕の念を胸に秘めつつひたすら家族を支え精進した窮乏の生涯。辛酸の中で磨いた観察力と筆力は並ではなく、情景描写も完璧、自己主張の多い女性作家の中できわだって女ごころはおろか寂しい男ごころの襞まで見事に描いてみせた稀有な存在だった。生前は報われなかったものの、眼識高い人々は彼女の並々ならぬ才能を早くから見抜いていた。森鴎外は勿論、漱石も常々うまいとほめていたという。