メイ・サートンのとりこに
前回私が取り上げたアメリカの日記作家メイ・サートンの日記が日本に初めて紹介されたのは一九九一年だった。当時そろそろ人生の秋に差し掛かり、行く末どう生きてゆこうか悩んでいた私は、偶然書店で見つけた「独り居の日記」というタイトルに惹かれて拾い読み、高い教養に裏打ちされたしなやかな思考で、人生すべてをテーマにした豊かで深い内容に忽ちとりこになった。訳者の解説もすばらしく、以来私の座右の書として、今も測り知れない慰めと共感の歓びを与え続けてくれている。ご存知の方もあると思うが、作者がどんな人だったのか少しご紹介しよう。
メイ・サートンは一九一二年(明治四十五年)ベルギーに生まれ、第一次世界大戦でベルギーに侵攻してきたドイツ軍から逃れて四歳の時両親と共にアメリカに亡命した。父はベルギー人の科学史の学究、母はイギリス生まれの画家だった。
マサチューセッツ州ケンブリッジで知識階級の親達が連帯して作った私設小学校で創造力豊かな教師たちからユニークな初等教育を受けたことがのちの彼女の抜きんでた自立心と、思索の力を育てる基礎となる。十七歳で演劇活動を始めて挫折。パリやロンドンで暫らく暮らし、著名な文人達との交遊に恵まれたが、アメリカに戻り、一九三八年最初の詩集を出版以来多くの詩集や自伝的作品、小説などを発表したが、広く世に知られるには至らなかった。
両親の死後、遺産でニューハンプシャーのネルソンの三十エーカー(約三万六千八百坪)の土地と老屋を買い、自然の中での孤独な日々の記録「夢見つつ深く植えよ」で脚光を浴び、六十歳を目前に自身を深く見つめ直した「独り居の日記」で独自のスタイルを確立する。
一九七二年以降メイン州の海辺の家に移り住み、病と闘いながら人間として生きることの意味を問い続け、老いることの素晴らしさを語り、「経験のあらゆる薪を燃やし尽くし」勇気を持って生きたあかしとしての日記や小説、詩集など幾多の作品を世に送り、一九九五年、八十三歳の命を閉じた。
これからもこの「日記」に限らず、折に触れ読書によって心に刻まれる真実に生きる勇気と喜びについて、お話できればと思う。
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