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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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2014年初夏近況

2014年 6月7日 土曜日
 早朝4時、夜が明けてきました。雨はまだ続いています。東京も入梅らしい。気温は20度前後。、ベランダに出ると、やや肌寒いが、風はほとんどありません。眼を凝らすと向かいの園庭のケヤキや樫の大木の葉先がかすかに揺れている程度。昨夜泊まりにきた孫息子はまだ片隅のベットでぐっす眠っています。
 灯りをつけずに横たわりながら、29日に文化会館でランチを頂きながら武田尚子さんや、日中問題研究家の福岡愛子さんと広い庭に面した喫茶室で、まわりの客の話し声に負けそうになりながら大声で話し合ったこと、書きかけのオルタの原稿の、明治期のジェンダー問題をどのようにまとめていこうかなど。
 ロラン・バルトが来日したあと「表徴の帝国」と訳された本を書き「日本の文化は中心が空虚である」と書いたという。さすがに鋭い。日頃私が漠然と感じていたことを見事に言い当てている。と直感、図書館で借りて読んでみようと考えました。私が明治の女性問題やその解放の道程を辿りつつ、書きあぐねていることも、それが大きな障壁のように立ちはだかっているからではないか、と思う。上野千鶴子さんの嘆きもそこにある。彼女は賢いから、ストレートに書いたり、怒ったりしないが、見通している、と思う。
 芭蕉伊賀に掲載予定の中欧の旅のつづき、ブランデンブルグ辺境伯フリードリッヒとベルリン、その壮大な博物館、メルケルとプーチン、近郊にあるかつての州都ポツダム、断片的に想念が流れて行く。とにかくヨーロッパはややこしい。その原稿が済むと、あと、先夜来民主文学の鶴岡さんや清川さんに約束した二十日ごろまでに書く麒麟に書く予定のストーリーとエッセー、。起き上がってパソコンをつける。
 先月は娘の転倒、骨折、入院、手術というアクシデントがあり、家事と育児に追われて机の前に坐る時間もなく、日々が慌しく過ぎ、メイの会の読書会は休会にしなければなりませんでした。その少し前に、手続きを始めた、インマヌエル中目黒教会への転入も延期しています。
 娘が無事退院し、自宅療養に入ったので、久しぶりの休日ですが、今日は散歩も出来ないかも。 脚の麻痺とむくみが少しひどくなり、歩くとき重さを感じるようになっています。
 孫と同い年で親友のA・K君が、今日二子玉川の音楽館で、チェンバロでバッハのイタリヤ協奏曲?を弾くそうです。初デビューでイタリヤ語で挨拶しなければならないので、先日我が家の娘からイタリヤ語の挨拶を速習して帰りました。娘は聴きに行けないので、私が孫と聴きに行こうと思ったのですが、孫は別の友達と前からの約束があるというので、残念ですが諦めることにしました。
 
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 最近オーストラリアで、ガムナッツべービーとガムブロッサムという2冊の冊子が市場に出た。以前からかの大陸にひろく散在していた民俗風土についての、ちょっとした学習にもとづいた愉しい空想と巧みな発想について、今になって縷々述べるのは遅きに失するくらいだ。メイ・ギブス嬢は、わたしたちが心底誇るに足る記念碑的存在で、わたしたちは、オーストラリア大陸のもう一方の側の世界が、この彼女について知る事を望んでいる。
 1917年10月7日 ロンドン/サンデイタイムズ/ザ ブックマン の記事より〈i>

 

読書会の報告

9月11日(火)第10回メイ・サートン読書会:ティールグリーンで。
 夏休みを終え、連日30度を超す残暑の中で、定例の読書会をすることが出来ました。ときあたかも、伊丹市在住の木工作家、想造工房の奥田守保さんと、画家の千珠夫人の手になるユニークで愉しい木工作品の展示が行われていて、木の薫りの漂う柱時計、天使の羽の椅子、小さな木切れをそのまま使っての美しい家々の模型に囲まれ、内庭に面した静かなお店の奥で、いつも通り読書会を持ちました。出席者四名。メイ・サートンが1973年にに発表した「独り居の日記」武田尚子さん訳、をテキストに、この日は、「11月18日」の項から「12月2日}までを読みました。。
若きころ、たまにはお茶に招かれたヴァージニア・ウ、孤独なこころを励ますサートン。12月2日の項はとりわけ心を打たれました。「人は地上にある生涯のすべてを通して、自らの霊魂を作る」という箇所に点線を引き、ティヤール・ド・シャルダンの、「個人的業績という展望を無限に超越し、・・・もうひとつの作品、世界の完成という共同作業に加わるべき」との説に、魂を昂揚させるくだりです。巻末の武田尚子さんが、そのすぐれて密度の高い解説で引用しておられる詩の一節がこころに沁みます。
 -たとえ私の創造の力が衰えても
  孤独は私を支えてくれるでしょう
  孤独に向かって生きてゆくことは
  「終わり」に向かって
  生きてゆくことなのですからー

ほかにも日頃彼女が愛読する、詩人や作家の名が挙げられ、知名度の少ない作者のプロフィールを調べて簡単に紹介したり、ふと立ち止まって考察したり、ゆっくり読んで、終わりました。遅々とした歩みながら、確実に何かが根を下ろすことを期待しつつ。
 次回は十月九日、午後2時から、都合で、場所はヒルズ久が原の多目的室で、行います。参加歓迎します。
曇り空ではありましたが、空気は爽やかな六月の午後、テイールグリーンで、始めての読む会を開きました。
出席者四名。
 「日記」は11月10日から、前回11月九日、ダラスから帰ったばかりのメイは日記に、詩の朗読のとき、多数の聴衆が静聴した瞬間、「詩のなかに存在する意味や音楽に”舌を与える”ことができ」満足を得ることができた、と書いています。けれども、南部の人たちとの微妙に喰い違う心理にも言及しています。あそこでは、人々の心の底に、歴史的に抜きがたい人種問題がひそんでいる、と。
これはある種の「喪失のしるし」とサートンは見ていますが、非常に的確な表現だと思います。
 
豊かで、冷たく、非の打ち所なく美しいけれども、非人間的な顔を持つダラスの高級住宅街を走りすぎながら、サートンは文化というものは、薄いベニヤの外板に過ぎない、という感覚をもちます。財力に恵まれたこの町の夫人たちのなかに、ある種、もっとも大切なものへのノスタルジーを嗅ぎ取り、やるせないほど切実な現実への飢えを感じ取る、という記述は、近代がもたらした、人間らしい暖かみと、詩の欠落した社会の側面を見事に鋭く突いて、多くの思い当たることへと感動が広がり、そのあとの十数行も、何度読んでも飽きない素晴らしさで、大きな共感を持って読みました。

絵本の店、ティールグリーンでの第八回の読書会は、こうして、美味しいコーヒーやテイーと手作りのお菓子を頂きながら、壷庭の可憐な草木に目を留めて、お喋りを楽しむ、という至福の時を過ごすことが出来ました。
 
☆さて、ニュースですが、先月末、訳者の武田尚子さんが、来日され、メールマガジン「オルタ」では、編集長の加藤宣幸氏の呼びかけで、執筆陣が集り、21日夜、懇親会が開かれ、楽しい夜を過ごしました。武田さんは現在、「オルタ」にアメリカから毎月のように、アメリカの市民生活についてのホットで知られざる側面についての、レポートを発信、只今はこの秋の大統領選挙の行方について、詳細で鋭いコメントを、寄せていられます。

☆次回読書会は、七月十日(火〕テイールグリーンで、午後2時から開催の予定。日記は11月11日から、です。どうぞ、どなたでも、気軽にご参加ください。

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