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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
FC2ブログへようこそ!
 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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 サートンの会は、長年「独り居の日記」を始め、サートンの作品をひそかに愛読してきた高沢が、サートンの老いても気概を失わず、虚飾をもたず、強い意志で、人間として、女性として真実に生きようとした姿。鍛え抜かれた詩的哲学的表現で、赤裸々に書きしるした日記の質の高さに、教えられる事の多いことを痛感し、何とかこれを、もっと日本の女性たちに紹介したいと思い、友人に声をかけて発足させた。訳者の武田さんにもメールしたところ、早速下記のようなお返事が届き、感激している。素晴らしい内容なので、転載させていただくことにした


貴メールをうれしく拝読いたしました。
 独り居の日記が、今も多くの方に読み継がれていることは、いつも私に勇気を与えてくれます。
お手紙をせめて1ヵ月半前にいただいていれば、私の逗留先である国際文化会館かどこかで。親しくお会いできたかもしれないのにと、ちょっと残念でした。4月24日から、5月11日まで例年の日本への里帰りをしていたのです。

 そしてこの旅では思いがけなく、サートンにまつわる二つの忘れがたいできごとがありました。その一つは、友人の声楽家の竹前文美子さんが、20何年にわたって介護なさった母上を昨年101歳で喪われて、30年ぶりの復帰コンサートをなさった4月29日のことでした。前触れもなく私をお客様に紹介してくださり、お母様のお世話をしながら年をかさねてゆく自分をみつめながら、独り居の日記がどんなに大きな激励であり、慰めであったかを、200人の聴衆を前にして語られたあと、この本は彼女のバイブルだと結ばれたのです。今住んでいられる軽井沢ちかくにある高野辰之き記念館での行事でした。高野辰之さんは、昭和一桁の私たちに親しい、朧月夜、ふるさとほか数かずの懐かしい詩を書かれた土地の人なのでした。
 
もう一つは、ある高齢の友人のお見舞いに行ったときのことです。彼は咽頭ガンで5年間も、口からものを食べられないまま寝ています。奥さんが、目をつぶっていても、お話しをしなくとも、意識は非常にはっきりしていて何でも分かるのだから、どんどんお話ししてください。といわれるのですが、何しろ20年もお会いしたいてない方から、おそらくお別れのご挨拶をしたいということだったのでしょう、奥さんのお電話でお会いしにゆきました。両眼は閉じられたまま、言葉はほとんど出せないといわれていたので、何のお話をしようかと考えた挙句、サートンの詩集、一日一日が旅だからと、ネコの紳士の物語を持ってゆきました。それが理解おできになるかどうかもわからないまま、とにかく私の訳した詩集です。すこし読んでみましょうかといいますと、[ああ]と小さい声で答えられました。まず冒頭の[いっぱいの水]を読みますと、片方の目がぱっちり開きました。[もう一つお読みしていいでしょうか?]と聞きますと[ああ]とはっきり言われました。私の大好きなインデアンの踊りを読みました。すると、両方の目が開いてしまったのです!私は感動しました。、そして、もう一つだけ聞いてくださる?といいますと[ああ、ああ]とはっきりいわれるので、新しい地形を読みました。一日一日が旅だから・家は私の奥の細道・からの三れんは、聞いてくださっている彼の心を肌に感じる思いで、思わず涙が出てしまいました。本当は、85歳の彼に[80歳を迎える]を聞いていただきたかったのですが、あまりにも切実すぎて、私自身がよみとおせないかもしれないと、避けたのでした。
病人の顔は紅潮して、なんだか若くなったみたいです。後刻宿に奥さんから[夫は、今日は素晴らしい日だった]といっています。ありがとうございました。」とお電話がありました。 末期にちかい人の魂をも動かすことのできる詩というものの力を深く感じました。忘れることのできない一日でした。

サートンの会をおつくりになられたそうで、おめでとうございます。もちろん悦んで会報を読ませていただきます。貴方のお仕事が順調に伸びてゆきますよう、アメリカからチアをさし上げます。お友達にもどうぞ宜しく。武田尚子(Naoko Takeda Yrin)


第一回で決めたことは
〇当分月2回。午前十一時から2時半まで、テキストを読む。(軽食を間に挟む)
〇会報発行。季刊とし九月頃をめどに第一号発行。内容は未定。


第一回 五月二十日 木曜日  
 高沢が始めて吉川宅に招かれ、サートンの作品、邦訳、原書取り混ぜて数点持参し、サートン文学の魅力を説  明。二人で会の形で研究することで合意しました。サートン会発足の日です。
  因みに高沢と吉川は小学校時代からの好ライバル。いずれも少女時代から英語や外国文学に親しみ、互いに適 度の距離を置きつつ行動をともにすることも多かった。進学は別のコースを選び、その後それぞれの道を歩んで きましたが、女性としての長い旅路の終わり、たまたま東京で再びめぐり会いました。
 こうして二人だけの困難で孤独な旅が又始まったわけです。今後はひとりでも多くの賛同者、愛読者とともに、  サートン文学の魅力と女性力について、存分に語り合いと思っています。入会歓迎。初心者歓迎。特に孤独な 女性(一人暮らしという意味ではありません。誤解のないように!)大歓迎。宜しくお願いします。
 
第二回 六月十七日 木曜日  
 吉川がアマゾンで手に入った邦訳と原書を用意して読みはじめている。二人で「独り居の日記」の冒頭部分を原 書で読みながら、今後の会の進め方を話し合う。原則として、月2回 第二、と第三木曜日 十一時より二時まで、作品の読み合わせと感想を話し合い、それぞれ文書化すること、をきめる。

第三回 七月八日 木曜日
 本格的な暑さ到来。「いまかくあれども」について、話し合い。
 「婦民新聞」の編集長、及び「日本民主文学会」の幹事の方に資料を送り、記事にできないか相談する。

第四回 七月三十日 金曜日
 「私は不死鳥を見た」について。サートンの受けた驚異的な教育を吉川は羨ましがることしきり。
 娘時代のヨーロッパ体験の回想も素晴らしい。

第五回 八月六日 金曜日
 婦民新聞の掲載決まる。1000語のコラムで、という話。民主文学界では、サートンの名は浸透しておらず、 難しい気配。   作品論ならばいいかも、日記は少し未知数、というような返答をもらう。
 作品もいいが、やはりサートンは日記が一番といった話をする。
 
第六回 九月二日 木曜日  
 残暑。、酷暑の中を会員の吉川さんの自宅に急ぐ。五月二十日に初会合を持ってより、今日は6回目の会合。吉川家は目黒駅に近く、ゆったりしたリビングルームを会場に提供され、のびのびと心ゆくまで情報交換と会報つくりに励んでいる、といえば聞こえはいいが、実は幼馴染の気安さで、のびのびが過ぎて、しばしば脱線しがち、ともすれば、非日常的、文学的に傾く高沢を、自制心に富んだ良識ある吉川が支えている。いい会になるよう期待している。
 先日北軽井沢で吉川のカメラでとった写真を整理した。生憎、プリントアウトのあと、うっかり削除してしまったということで、ここにお見せできないのが残念。吉川がいま専心写真を復帰させようと取り組んでいるので、この記事にいずれ写真も掲載したいと思います。
第七回 九月十六日 木曜日
 今日は詩の朗読をすることにし、最晩年の自選集から編まれた「一日一日が旅だから」より、
  新しい地形
  メランコリー
  ときどきわたしは死にたくなる
  至福
  八十歳を迎える
をそれぞれ一聯づつ、ゆっくり交互に読んだ。
 吉川より、「独り居の日記」の十二月二日の記述で、ティヤール・ド・シャルダンの「神のくに」よりの長い引用のあと、
「われわれは、霊魂を創造していると信じられるときはじめて、人生に意味を見出すことができる」という言葉について、霊魂を創造している、というのはどういう意味なのだろうという質問があった。

第八回 九月三十日 木曜日
 目黒で。
第九回 十月八日 金曜日
 下丸子 カフェ ボーリバージュ
    昼食後キッズアリーナテラスに移動。
第十回 十月二十一日 木曜日 
 下丸子 カフェ
 エンドゲーム 吉川が五月前半を訳出、   
★★★★★★★★★★★★★★ 
       六月~八月までの特記ニュース

☆六月七日
 アメリカ在住の訳者武田尚子さんにメールを送り、懇篤な激励のお返事を頂く。別項に全文を掲載。

☆七月一日
 武田さんのご紹介で、軽井沢在住の声楽家、竹前文美子さんよりメールを頂く。サートンを愛する読者の一人  で、以前大田区の自宅を開放して音楽ホール「スペース・桐里」を経営。15年位前、このホールで、訳者武田 さんの講演会を開かれ、武田さんは、ご子息のピアノ演奏で、詩の朗読もされたとのこと。会への参加を申し出 られ、感激する。  

☆八月四日
  今日からいよいよ軽井沢FMで、水ー金曜日 朝7時50分より、竹前さんの番組が始まるので楽しみに聴い  た。今日は植物の話。私の1冊というコーナーも作られたということだが、今週はまだ始まっていない。第一 回はサートン、ということで、楽しみだ。

☆八月十八日
 すでに、賛助会員として、ご紹介した声楽家、竹前文美子さんが軽井沢FMの朝のトーク番組で、サートンの日 記の紹介と共に、詩集「一日一日が旅だから」のなかから<1杯 の水>を朗読され、すばらしかったです。サ ートンの詩が持つ力強い生命力が溢れるような朗読でした。

☆八月十日、二十日合併号の婦民新聞に、高沢のコラム「日記のすすめ」が掲載されました。記事中サートンに言及しいるので持参しました。婦民新聞には、引続き来春から月に一度の連載が始まる予定で、日本の古典文学や海外の日記文学にふれながら、身辺の事など、気ままに書い下さい、との注文で、どのような展開になるかわかりなせんが、はじめてみます。
 
☆八月二十四日
 北軽井沢で高沢の義娘(息子の妻)阪本牧子のピアノコンサートが開かれ、高沢は娘大野洋子の運転で洋子の長男の航を連れて出席。吉川も新幹線で駆けつけ、始めて竹前文美子さんに、北軽井沢鎌原のカフェ・フルールでお会いした。カフェのオーナーの広瀬尚子さんは、高沢の友人だったので、特に店を開けて下さり、ハーブティーと手作りの玄米野菜カレーを頂いて歓談した。広瀬さんも、上京の節はサートンの会に出席してみると申し出られた。
 コンサートが始まる直前、生憎の土砂降りの雨となったが、コンサートは無事終了。鎌原の阪本宅でうちあげパーティを開く。夜の打ち上げパーティご出席者は次の人々。
 声楽家竹前文美子さん。慶応大学総合政策部渡辺頼純教授。経済学者でライターの吉本佳生氏(スタバではグランデを買え!、他著書多数)夫妻(夫人は広島市大教授(英語学))と6歳の坊や孝希君、吉川、高沢、阪本俊生、牧子夫妻、息子英作(慶応大一回生)周平(小学四年)大野洋子。航6歳。ついでながらその夜のピアノコンサートのプログラムは下記の通り

     阪本牧子 北軽井沢ピアノコンサート:プログラム
        リスト       3つの演奏会用練習曲から第3番
        ショパン     スケルツォ 第2番 Op。31
        ベートーヴェン ソナタOp27 月光                                  
        ドビュッシー   ベルガマスク組曲より 月の光
        ガーシュイン   ラプソディ・イン・ブルー

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