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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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メイの会近況

2013年七月三十一日水曜日
 身辺の事情で、長い間記録を怠ってきたことを深く反省しています。メイ・サートンの読書会はずっと続けてきましたが、メンバーによる活発な読書コメントは特に無いまま、盛り上がりに欠けるのが、会全体の運営にも物足りなさを感じさせて居るようで気になります。
 和気藹藹はいいのですが、お世辞にも活発な活動をしてきたとはいえない状況です。読書経験の深まりはあまり期待できない状況で、もう少しなんとかしたいと考えているところです。 
 テキストは「独り居の日記」武田尚子訳を、ところどころ原文を参照しながら実に延々と味わっているわけですが、時代背景や国情も異なり、詩人の日記というだけに、文学的香気とやや難解な哲学的思考が混在し、ストーリ展開なども無く、日常から少し離れた特殊な内容から、たがいに共感し、体験を共有する醍醐味は味わえない嫌いがあるかもしれません。しかし、それこそがこの本の尽きない魅力であることを考えれば、まだまだやりようはあるのではないでしょうか?悩むところです
 前回は六月二十六日、出席者4名で2月4日と2月5日を読みました。七月八月は夏休みとして、又秋から
一つでも二つでも魂に響く言葉を拾い出して考察してゆきたいと考え、記録を再開することにしました。
 
サートンに限らず、私の個人的な読書紹介なども付け加えてゆければと考えています。

 

魂の創造

九月十六日
 詩の朗読のあと、吉川が一つの疑問を提示した。「独り居の日記」十二月二日付けの、20世紀前半のフランスのカトリック司祭、ティヤール・ド・シャルダンの著書「神のくに」よりの長い引用のあと、魂について考察を始めるくだりで、
 
☆[われわれは、霊魂を創造していると信じられるとき、始めて人生に意味を見出すことができる]というサートン の言葉が続くが、<霊魂を創造する>というのは、いったいどういう意味なのだろう、というのである。
 
 原著でもこの部分はIt is only when we can believe that we are creatinng the soul that life has any meaninng,と簡潔に記されているだけだが、その後に続く「しかしそれをいったん信じたならー私はそう信じるし、常にそう信じてjきたのだがーわたしたちの行為で意味をもたぬものはないし、私たちの苦しみで、創造の種を宿さぬものはない」という言葉は、この際併せて考察しなければならない。
 そのためには翻って、ティヤール・ド・シャルダンからの引用を今一度読みかえし、彼とその1派の哲学の片鱗を、意識下におく必要もある。
 このきわめてヨーロッパ的で、カトリック神学の伝統の、霊魂の創造行為なる発想の歴史は古く、さらに、近代それに進化の思想を結び付けるに至っては、西欧のキリスト教思想にいまだ理解の浅い日本人にとっては、馴染みにくいものに違いない。しかし、サートンの魂に根深く浸透しているかに思えるこれらの思想を、この機会にじっくり考察してみるのは、決して意味のないことではない。むしろ大切なポイントといえるかも知れない。

九月六日

メイ・サートンの言葉
 サートンの言葉は一つ一つに、深い意味と輝きがあり、その都度、心を打たれ、新たに立ち上がる力を与えられるのです。とくに女性にとって、これほど深い愛と誠実さと優しさで、慰めを与える人は稀有の存在です。
 いずれ、語録を編みたいと考えていますが、そのための準備として、少しずつ、意味のあることばをご紹介してゆこうと思います。ただし、順不同で、思いつくままに、共感してメモしたものから。ですから今回書き出した言葉が、最高というわけではありません。
 
《日記「回復まで」より》 一九七八年 六十六歳
十二月二十八日
 〇わたしにとって、癒しの役をしてくれるのはいつも詩。
一月十二日。
 〇孤独がなにかを生み出しうる時期は人生に二度あり、二十歳のころと六十歳を過ぎてからだろう。しかしその二 度のうちで孤独が自分の選択であるのは前者だけ。

 〇どのようにして人は自分のアイデンテイティを見出すのだろう。私の答えは作品を通して、又恋をとおしてであ り、・・・・・。
二月十三日
 〇だれが女性たちの人生をくまなく書きおおせているだろうか。
(わたしは一般化は嫌い)
  ・・・男性の手になる文学作品では、女性たちががすぐれた人間として描かれることは滅多にない。こうした 一般傾向にあって例外としてヘンリージェイムスが思い浮かぶ。
 
   ж註 この年一九七九年、サートンは乳がん手術のため 
       六月八日ヨークの病院に入院。同月十八日手術(左胸)
              二十七日退院。、という経験をしています。
七月一日
 〇肉体が聖なるものであることを忘れては危険だ。

《「独り居の日記」より》1973年発表 五十八歳

10月11日 
  私には考える時間がある。それこそ大きな、いや最大の贅沢というものだ。
 
11月11日
  孤独とは、存在するための空間を持つことである。
       孤独 は 寂しい とは全く別の次元の言葉だと、サートンは繰り返し言っている。

3月18日
 〇万事について、スピードが上がり、忙しなくなったから、・・・私たちの速度を緩め、忍耐を強いるものすべて、自然の緩慢な   
 サイクルの中に私たちを連れ戻すもののすべてが助けになる。だからこそ、庭作りは恩寵の道具なのである。
十二月三十一日
 スタイルが精神の気品を表すように、やさしさは心の気品であるーと昨夜は眠れぬままにそう決めた。両方とも人の本質にかかわると思う.理性の質、感情の質に。
 わたしにとって、不安で苦痛だった1年の最後の日、明日の夜明けが待ち遠しく、日が長くなるにつれて、新たな、生への歩みが感じられるように、と願う。季節のめぐる中で、最も暗い時間に「新年」を迎えるというのは神秘的だけれど、不思議ではない。個人的な闇に沈んでいる時、打ち勝たねばならない苦しみがあるとき、あらゆる困難にもめげずみずからを再生しなければならないとき、ただ生き延びてゆくために必要な精神力は、春に凍土の下から球根が芽を伸ばす力と同じくらい強靭で、ひとたびそれが克服されれば、新たなエネルギー、創造に向かうエネルギーが溢れ出てくる。事実、この夏以来何ヶ月も心にかかっていた短い小説を、今朝から書きはじめた。

〇使い古された快適な椅子が一つもないような家には魂がない。
 サートンの初等教育の八年間は、マサチユーセッツ州ケンブリッジに1915年創設されたシェィデ・ヒル・スクール、別名オープン・エア・スクールとよばれたいわゆる連帯方式による小さな私設学校に委ねられた。幼いメイ・サートンはここに1917年、5歳で入学する。幸運にも、と自ら書いているように、学校生活はユニークで創造的なものだった。彼女の自己形成の旅は、ここから始まった、と言えるだろう。
 
 この学校の教育方針その他のユニークさは、到底ひとくちではいえない。回想文の中から、具体的に生き生き描かれた個々のケースを丁寧に取り出し、一つ一つ味わいつつ、じっくり考えて見たいと思う。
 読まれる方はぜひ「私は不死鳥を見た」のなかの同名の章を昧読し、人間を教育する事の重要さを、そこで行われたいささか過激ともいえる冒険の数々を、今一度子供の原点に立って、見詰めなおし、参考にして欲しいと思う。
メイサートン)のプロフィール。
 1912年、ベルギーに生れる。4歳のとき両親とともにアメリカに亡命。マサチューセッツ州、ケンブリッジで育つ。父は著名な科学史の学究として、ハーバードで教え、イギリス人の母は画家、デザイナーでもあった。
若くして劇団を主宰するが、やがて、1938年最初の詩集を出してより、著作に専念。多くの詩集、小説や自伝的作品、日記、を発表。
 1973年、両親の遺産をもとにニューハンプシャー、ネルソンに30エーカーの土地と老屋を買って住み、発表した「独り居の日記」で、脚光を浴びる。やがて、メイン州、ヨークの海辺の家に移り住み、83歳で死ぬまで、次々と20冊に及ぶ作品を発表。女であること、芸術家であること、の自覚をもって、女にとっての創造の源泉を探り、真実に生きることの意味を問い続け、自分自身である事の勇気を語り続ける著作は、多くの読者を得、「アメリカの国宝」とまで絶賛されているという。1995年、ヨークの病院で死去。

 翻訳によって彼女の作品を最初に日本に紹介したのはアメリカ在住の武田尚子さんで、「サートンによって世界を見る新鮮な目を与えられ、生きる勇気を与えられるに違いない多数の読者の存在することを、確信している」とあとがきに書いておられるが、事実、日本語版「独り居の日記」は、その後も地下水脈のように愛読者が絶えず、15版を重ねているという。私がこの本と始めて出会ったのは1991年の暮ごろ、出版の約1ヵ月後、大阪、梅田の旭屋書店だった。ふと手に取り、読んでみてすぐ購入した。渇いた者が水を飲むように・・。以来この書は私の座右の書となっている。

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