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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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オルタのひろば11号     2019年 ㋂20日
【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】高沢英子
⑴ 序にかえて           
オーストラリアの南東部、美しいタスマニア海に面したニューサウスウエールズ州の州都シドニー、美しい湾に沿って町が広がり、人口はオーストラリア第一とか、気候も比較的温暖な住みよい都市だが、20年ほど前、わたしはこの街で、息子の家族と共に一年ほど暮らした。
内海は波も静かで、向こう岸の住宅地ニュートラルベイへ渡るための船が、毎時定期的に出ていた。
その船は岬の突端に建つ、デンマークの建築家ヨーン・ウッソン設計のユニークな屋根のオペラハウスを眺めながら、ゆっくりと滑るように向こう岸へ航行する。

そしてニュートラルベイの住宅地の一角に、イギリス生まれの絵本作家、メイ・ギブス(1887年~1969年)の、花に包まれたアトリエ付きのこじんまりした家が、今も大切に保存されている。
彼女はその家で、20世紀の初めころから、死の年まで、同じオーストラリア移民の子どもたちのために、サングルポットとカッドゥルパイと名づけたをユーカリの実の坊や(ガムナッツべィビ―)と、土着の動植物たちがくりひろげる楽しい冒険ファンタジ-を、イラストを添えて描き続け、あらたに、この地に住むことになった子供たちばかりでなく、大人たちにも、自分たちが住む新天地のユニークな風土に目を開いて、土地独特の風土を、愛と関心をいだいて楽しむよろこびを呼び覚ましたのだった。
わたしは1990年代にシドニーで暮らしていたとき、現地の主婦たちから、これら「ガムナッツベイビー」について、多くの資料や本を見せて貰い、その可愛い主人公たちのキャラクターや、ブッシュの森の生きものたちの魅力を余すところなくフアンタジーとして描き出したメイ・ギブスの才能と、愛情あふれる感性に心惹かれた。
そして、さらに、このメイ・ギブスの伝記を書いたモーリン・ウォルシュ夫人の著書を紹介されたが、その内容は非常に興味深いものだった。
モーリン・ウォルシュ夫人は、元ドキュメンタリー映画のプロデューサーということで、当時はすでに引退し、オーストラリア北部の、太古そのままの動植物が生息するといわれるクィーンズランドの湿潤な熱帯地域で、余生を楽しんでいるということだったが、直接電話で話をすることができ、ぜひ日本でも、本を、訳してひろく知らしめてほしい、という希望を託され長年その思いを抱きながら機会が得られずにきたが、今回オルタ誌上で、それらを、まずは翻訳というかたちではなく、童画作家メイ・ギブス及びその作品「ガムナッツベイビ-」のもろもろの内容を、ウォルシュ夫人の著書を参照しながら紹介する、というかたちで初めてみたら、という提案を編集部のほうでいただいたので、まずは取り組むことにした。
4歳でオーストラリアに両親と共に移住したメイは、画家として自立することを願い、1901年から母国イギリスで教育を受け、帰国したものの、1909年再度ロンドンにわたって、ロンドンの出版社で働きながら女性の権利を訴える漫画を描いたりして婦人運動にもかかわっている。だがメイは婦人運動については、飽くまでもオブザーバーにとどまっていたが、同じ下宿にいたレン・ヒームスという女性と出会い、忽ち親しくなる。電話交換手として働いていたレンは、熱心な社会主義者だったが、メイとはたがいに最初から意気投合し、結局生涯の友として、イギリスの気候が体になじまなかったメイを助け、メイがオーストラリアに帰るとき彼女も共にオーストラリアに渡っている。
その間、オーストラリアは、金鉱資源によるゴールドラッシュ、博覧会開催など、豊かな資源をもとに、イギリス自治領の地歩を着々と固め、1901年には女性の選挙権を認め、1908年には早くも高齢者と障碍者に扶助料給付制度を設け、1913年にはキャンベラを首都と制定し、反面白豪主義という手前勝手な制度を定めるなどして、いわば近代国家の発展期にあった。
ともあれ、オーストラリアに帰ったメイは、やがて雑誌や新聞に独自のイラストを描いて認められるようになり、念願の自立を果たす。のちにはよき伴侶もえて、シドニー湾を一望するニュートラルベイに、ささやかなアトリエ付きの家を建て、自然を友にしてガムナッツベイビ―の母としての立場を確立するのである。
残念ながら、これらの作品もメイ・ギブスの名も、日本では、いまだあまり知られていない。1,993年に毎日新聞社の元記者だった
伊藤延司氏が日本に滞在していたオーストラリア女性ライター、マーガレット・プライスさんと共著で毎日新聞社から「ブッシュベイビーズ、メイギブス」という美しい絵入りの訳詩画集を出している。伊藤氏が筆者の大学の後輩というご縁もあって、神楽坂のお仕事場を訪ね、お二人からお話を聞いたこともあるが、あとは、今は亡き詩人矢川澄子さんの手になる1冊の訳本くらいしか私は知らない。
今後、日本の子供たちにも、もっと、このしっかりしたデッサンと美しい色彩でオーストラリアのブッシュの森の花々や、生きものたちの世界を、生き生きと描いた楽しいフアンタジー物語が、ひろく知られたらいい、と思っている。
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オーストラリアで、独自の童話絵本が出始めたときも、どちらかといえばこの土地ではおとなしい種類の動物たちが、移民のこどもたちが、それまで慣れ親しんできた家兎と混じりあい、いちばん可憐な野生の花々が、薄暗い森のなかや、草の生い茂る丘のうえで菫の花々に混じって群がり咲いている、といったものだった。そして、優雅にドレスアップしたヨーロッパ風の仙女が、かれらの好みの家のなかに配されていた。けれども、灰緑色のブッシュと、そこにある荒々しく引っかかれたような傷だらけの樹皮のユーカリや、小さな乾いた花々や、褐色の小川、ざらざらしたブッシュの小道は、依然として、大自然の神秘のなかに置き去りにされたままだった。
一人の女性がそれらすべてを変えた。
同じ時期、ベアトリス・ポッターや、ケネス・グラハムが彼らの観察したイギリスの田舎を紹介し、野原や垣根に顔を覗かせる動物たちをキャラクターにして描いていたときに、世界の別の側にいた一人の若い芸術家が、オーストラリアの土着の動物たちを観察し、かれらの生き生きした姿が、物語のキャラクターとしての力を持っていることを、理解していたのである。
 けれども、より重要なことは、彼女の心のなかに徐々に芽生え育まれていった、豊かな土着の神話の中で実を結んだオーストラリアのブッツシュランドに対するユニークな解答だった。
 このアーテイストがメイ・ギブスである。彼女の創造物たち、ユーカリの実のサングルポットとカッドゥルパイが作り上げたブッシュの森の世界、彼らのいとこのビブとバブ、他にも別のユーカリの実や、野生の花の蕾などなど;荒削りなタッチで描かれた、コアラやポッサムや、巨大蟻やカブトムシたちと親切な年寄りとかげや、邪悪な蛇、恐ろしげなむさくるしい姿の意地悪で残酷なバンクシャー男たち。彼女のユニークなビジヨンは、当時のオーストラリア移民の人々の心とイマジネーシヨンをすっかり魅惑し、捉えたので、彼女の描くブッツシュべービーたちーちいちゃなまるまる肥った裸のお尻、ユーカリの実の帽子や、ぼろぼろに引き千切れたような野生の花びらののスカートだの大きな青い瞳―はすっかり国民的なシンボルになり;「デッディボーン」といったようなガムナッツ語は、日常語の仲間入りを果したのだった。どの年代の大人たちも、ブッツシュの森に足を踏み入れた途端、このシリーズを思い出して微笑を浮かべ、一目バンクシャートゥリーをみたとたん、畏怖の思いを抱かずにいられなくなったのである。
大人にも子供たちにも同じように、メイ・ギブスのマジックは、ブッシュの森が、まるで彼らの玄関先にあるかのような身近さをおぼえさせることになった。
メイは、まず、そのキャリアを、他のひとの仕事のイラストを描くことで始めた。最初のうちは、オーストラリアの小道具をあしらいながら、魅惑的ではあるが、ありふれたフェアリーランドの幻想的な光景を描いていたのが、徐々にそれは、純粋なイギリス風のシーンにとってかわるようになっていった。
ゆっくりと完全なオーストラリアのブッツシュのフェアリーランドが、彼女のイマジネーションの中で大きく育ってゆき、それらの生きものたちが、彼女のイラストのなかに、自発的に招かれざる客のように滑り込んできはじめる。ガムナッツの先駆者たちは、まず、1913年に描かれたイラストのなかに見ることができる。翌年、ガムナッツと同じように、野生の花の蕾が象られたイラストの本の栞や若干の本のカヴァーが世に出た。
 軍隊(訳註1)に送られるはがきのシリーズもあったーいまでは貴重なコレクターの品目になっているがー当時は前線でよく見られた光景であった。フランスの泥にまみれた壕のなかや、パレスチナの太陽に灼かれた渇いた大地のうえなどで、戦いで疲労困憊した兵士たちは、赤十字から届いた小包を開き、手編みのソックスや、ウールの帽子と共に、メイ・ギブスのガムナッツのひとりからの可愛いメッセージをよろこんで受取ったのである。

我らはユーカリの実軍団
 さあ戦いに行きましょう
  (ユーカリで、すべてを打ち砕き)          10;7

やがて本の出版が始まる。「ユーカリの実と花のべービーたち」というのが最初のオーストラリアでの本のタイトルである。メイはイラストと文章の両方を書き、その批評的反響は、驚くべきものだった。
 (訳注1:1914年 第1次世界大戦勃発 八月オーストラリアはロシヤに宣戦布告)
モーリーン・ウオルシュ著「メイ・ギブスーガムナッツの母」高沢英子訳2012・9・10
   
 序:ガムナッツの母
  
-どう言ったらいいか、説明するのはむつかしいことなんだけど、わたしには、わたしが、あの可愛いちっちゃな生きものたちを見つけたのか、それとも、もしかして、ブッシュ・べービーたちのほうがわたしを見つけたのか分からないのよ。
  1968年、メイギブスのインタビューより 

 先住民族のもっていた伝説や伝承に包まれた豊かな土地を植民地としたにもかかわらず、新しい移住者たちは、生まれ故郷の異質の慰さめと独自のファンタスティックな生きものたちへの郷愁を、オーストラリアに持ち込んだ。
 一世紀以上もの間というもの、ブリテンの童話に登場するすべての空想の生きものたちーアイルランドの小妖精レプレコン、ウエールズの水の精ケルピー、スコットランドのお手伝い妖精ブラウニ―、そしてイギリスのいたずら妖精ピクシーたち、仙女、悪鬼たちーこれらがオーストラリアの白人の子供のための標準の読み物だったのである。それらには、現実に彼らを取り巻いている野性的な風景とは程遠い色美しく描かれた優しい花々や、毒キノコが点在する牧場、バラの花に囲まれ、豪華な衣装をまとった仙女がたそがれの淡いパステル調の色彩のなかで漂うトンボの翅に包まれて描かれているという風だった。オーストラリアのこどもたちが、彼らがいまおかれている環境が、真のお伽の国ではないと、きめつけたとしても、驚くにはあたらないことだったのである。

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