プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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日本民主主義文学界会員。メイ・サートンの会代表。詩誌「鳥」同人。メールマガジンオルタ同人。

著書:「アムゼルの啼く街」芸立出版「京の路地を歩く」未知谷
 
俳句雑誌「芭蕉伊賀」、メールマガジン「オルタ」「民主文学」「婦民新聞」などに寄稿。

現在、難病の娘の家事手伝いと孫息子の育児支援中。 

東京都大田区在住。


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わが街かわら版                 高沢英子
  ⑩ヴァ―ジニア・ウルフの挑戦^
 東京都美術館が、モスクワのプーシキン美術館所蔵の十七世紀から二十世紀のフランスの風景画展を開催していると娘に誘われ見に行った。
すぐれた芸術作品は時代の変化をいちはやく感じとる。いつの時代も、才能ある人たちは革新的だった。
ヨーロッパでは十九世紀後半から哲学や社会学心理学などに新たな人間性への洞察が生まれ、知的分野の視界の広がりとともに芸術界でも新しい動きが起こり、絵画では後期印象派と呼ばれる画家たちの空間と時間による自然の光の変化を捉えた描写がひとびとを魅了し、描かれる対象は普通の生活を営む人々や日常そこにあるものとなり、貴族社会の独占物でも宗教に基づく物語世界でもなく、生活に視点を置いたテーマがもてはやされるようになる。
文学の世界でも新しい動きがあった。紅茶に浸したマドレーヌが舌に呼び覚ました感覚を辿り、大作「失われた時を求めて」を書いたプルースト、ダブリンの中年男を主人公に、四十八時間の行動と意識を描いたジョイスの「ユリシーズ」などの作品が世に出る。
イギリスの女性作家ヴァ―ジニア・ウルフはこの技法を学び、登場人物が、刻々と移り行く身の回りの情景を追いながら、心の眼に浮かび上がる過去や未来の喜びと苦悩に絡みとられる意識の流れを、透徹した感知力と、リズムに富んだ筆力で鮮やかに描き出し、独自の境地を拓いた。
また彼女は、歴史的に偏ったイギリスの男性中心の社会差別に不満を抱き、女性が自分自身の文學形式を真に創造する為には何が必要かを論じた名エッセー「わたしだけの部屋」で、論文のかたちでなく、架空の女性主人公が、女人を拒否する大学構内をさまよいつつ思いにふける、という筋立てで男性の空威張りや規則にこだわる滑稽な姿を皮肉たっぷりに描き、女性が書く力を持つ為には十九世紀後半十九世紀後半自分だけの部屋と年20ポンドの金が必要不可欠と結論づけた。
不幸にして精神の病に苦しめられ、第二次大戦の始まった一九四一年、五十九歳で、終生良き理解者だった夫レナードに「これ以上あなたの人生を台無しにできない」と書き遺し、住まい近くのウーズ川に入水自死を遂げた。





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わが街かわら版
⑨迷路 野上弥生子
  日本の年号がまた変わる時期がきた。明治・大正・昭和と生きた人々が、身辺からひとりまたひとり、世を去っている。歴史は繰り返すとはよく言われる言葉だが、公的に記録された事象だけが真実を語るのではないことを、身をもって知った人々が殆ど声をあげることなく消えて行くのはやりきれない。身辺にうそ寒い風が吹きはじめ、世界が不気味に揺れ動く気配を見せている昨近、尚のこと不安と危惧が募る。
一九一九年(昭和六十年)百歳を目前に他界した野上弥生子の晩年の大作「迷路」は、もっと読まれていい作品と思う。これほど確かに時代を見据えた作品を書いた女性作家は、日本ではほとんど無いに等しい。最初一九三六年(昭和十一年)秋「黒い行列」という表題で中央公論に連載として書き始められ、翌年十一月「迷路」と改題。時代の波に翻弄されつつ懸命に真実に生きようと試みる知識層の男女を描いた魅力ある恋愛小説、とも読める作品だったが、作者はそれきり筆を折った。同年十二月、ヨーロッパの反ファシズム、反帝国主義の人民戦線運動に触発されて動いた日本の活動家の弾圧が始まり、加藤勘十、山川均、荒畑寒村をはじめ拘束された人物一千人に及んだ時代が執筆を許さなかったのだ。けれども彼女は戦後再び筆を取り、無謀な戦争で国民の多くが悲劇的人生へと突き進む時代に、苦悩する若者を主人公にし、岩波文庫で通算約一二〇〇頁に及ぶ大作「迷路」を一九五六年に完結させた。九州の裕福な醸造家に生まれ東京帝国大学に進学し、学生運動で中退せざるをえなかった菅野省三を主人公に、身辺の多彩な人物像をありありと描く。最初の舞台は東京の特権階級で、弥生子の選良意識が垣間見られるが、それはそれとして、それぞれ、人間として信じる道を誠実に懸命に生きようとする姿を、深い洞察と観察に裏付けされた筆力で迫る。日中戦争に駆り出された主人公が捕虜としてとらえられた抗日ゲリラを斬首刑から救い出そうと軍から脱走を図り無残な最期を遂げる結末だが、明治大正の東京を克明に描いた歴史風俗小説として読んでも、ずしりと手ごたえある小説である。
    
わが街かわら版 ⑦        高沢英子
 マジョルカの冬ージョルジュ・サンドとショパン 

四〇数年前、ミュンヘンから帰国の途に就く前に、私たちは同じく帰国する日本人の家族と、スペインのマヨルカ島で数週間を過した。沖縄本島の三倍ほどの大きな島で古い歴史を持ち、修道院や大聖堂もあり、手ごろな観光地としても有名だった。
季節は早春、バルセロナから船で渡れるこの島の首都パルマのホテルは、厳しい冬の寒さを避けて、比較的安い費用で長期滞在して楽しんでいるドイツやイギリスの高齢の年金生活者たちでいっぱいで、夜はダンスパーティを開いたり、海辺の散歩や、島の有名な洞窟を船で廻り、起伏の多い島なかを自転車で走ったりと、思い思いに長い冬を楽しんでいた。雨の少ない土地で、ショパンがトルコ玉のような、と言った青い空と瑠璃色の海で、子供たちは一日中泳ぐことができた。
およそ二〇〇年前の一八三八年秋一〇月、フランスの作家ジョルジュ・サンドは、友人に「天国のよう」とすすめられ、二人の子供と、ポーランドから来た若いピアニスト、ショパンを伴い、このマヨョルカ島に二月まで滞在している。二年前に知りあい親密になったショパンとの仲が、パリの社交界でとかく噂の種となっていたので、既に肺の病に侵されていたショパンの療養目的もかねた逃避行だった。
かれらが滞在したのは、バルデモサ村のシャトルーズ(カルトゥハ)修道院、標高の高い山間にあり、平地の暖かさと違い冬は凍りつくような寒さ。おまけに雨季とあって、旅行は困難を極め、病状は悪化、保守的な村人の冷たい目を浴びて居心地も悪く失敗に終った。
だが精力旺盛なサンドは、ショパンの看護や薬の調達とかいがいしく動きつつもペンを取り続け、病苦のショパンも取り寄せたピアノで、二十四の前奏曲やポロネーズ「軍隊」、雨だれの曲などの名曲を作曲した。
三年後サンドは「両世界評論」に詳細な風土の紹介付きの紀行文「マヨルカの冬」を掲載。その本は彼らが滞在した僧房で山積みして売られていたが村民をダンスと歌うことしかできず考えない愚か者達などとちらちら書いてあり、出版当時村人ををかんかんに怒らせたとか。
わが街かわら版 ⑦           高沢英子
  コレットの「青い麦」
早春、秋に撒いた麦の種がいっせいに青い芽を出し、麦踏みは大事な農作業のひとつになる。風がまだつめたい季節、蟹の横這いのように、畝に沿って踏んでゆく。夏のフランスの旅では、車窓から見渡すかぎりの小麦畑で、みのりをむかえた麦の穂が、吹く風に青い海のように波打っていたのを思い出す。麦は踏まれたら強くなるらしい。
一九五四(昭和二十九)年八月、パリでひとりの作家が世を去り、フランスは彼女を国葬で葬った。作家の名はシドニー・ガブリエル・コレット。一八七三年(大正六年)生まれ、大衆作家の幼な妻となり、夫のすすめでペンをとる。離婚後、パントマイムの芸で自活。編集者との再婚、離婚と、自由奔放な生涯で一女を育てあげ、心に沁みる数々の名作を残した。小説「青い麦」は、夏の海辺を舞台に、毎年家族とパリからやってきて、隣同士の別荘でヴァカンスを過す幼馴染の十五歳の少女と十六歳の少年の幼い恋を描き、一九二二(大正十一)年断続的に「ㇽ・マタン」誌に掲載、翌年出版された。
成熟するにつれ、互いに惹かれ合い反発と魅惑にさいなまれる二人の前にあらわれる年上の美しい女。彼女にいざなわれ、夜明けにひそかに帰ってくる少年の足音に耳を澄ませる少女の苦悩。
空の光、砂地に這うはりえにしだの花、潮に洗われた岩々の割れ目を逃げ去る蟹、夏の海辺の渇いた自然の風景が、微細な心の襞をも見逃さない濃密な心理描写と一体化し、未熟な魂と成熟期の肉体の葛藤を描く筆の深みにいつしか絡みとられ惹きこまれ、ときには遠い追憶の断片に光が当てられ、多様な局面から愉しめる小説の醍醐味を味わわせてくれる佳作だ。
訳者堀口大学紹介のフランスの評論家曰く「彼女の作品の中に深遠な哲学も、異常な性格も、求めるべきではない。彼女が知っているのは感覚だけである。だが彼女の言葉は宇宙のきらめきと奇跡を表現している」と。昭和昭和二十八年映画化され日本でも公開された。  
同じ年発表された少年少女の志摩の海辺の恋を描いた三島由紀夫作「潮騒」はこれに触発されたと聞いたが、社会背景や風俗を、男の視点による力強い筆さばきで書き、趣はかなりなり違う。
わが街かわら版⑸
   引きこもりの詩人 エミリー・ディキンソン
大晦日に初日の出を見ようと娘の運転で九十九里浜まで走り、孫と三人、暗い浜辺に陣取って車内で夜を明かした。夜半、ふと気がつくと真の闇と思われたあたりが少し明るみ、海面に白波が見え、見わたすかぎり、さえぎるものもない遠い空に星がまたたき、中天に満月に近い月が輝いていた。陰暦十一月十五日、元旦は十五夜にあたるのだ“月の光にうつしだされた海は静かで、ゆったりと寄せてはかえす波音だけが聴こえてくる。
月は 金のあごだった
一日 二日まえには。
いま 月は 完全な顔を
下界に 向けている

ひたいには たっぷりと金髪、
頬は エメラルドの色、
視線を 夏の夜霧に落としている
わたしの 一番好きな 月のすがた
と歌ったのはアメリカの近代随一の詩人ともてはやされるエミリー・ディキンソン。生涯ニューイングランドアマストの田舎町を出ることなく、喧騒の世界をよそに孤独な自己と向き合い、魂の底から迸る多くの詩を書きのこした。生前発表した詩は匿名の数編にすぎず、死後妹がみつけた遺稿が頒布され、愛好者を得たが、一八〇〇篇におよぶその全貌が研究者の手であきらかになるのは死後七〇年もたった一九五五年だった。その自然を歌う語は繊細さにみちているが、ユーモアにもこと欠かない。わが国でもターシャ・チューダの絵とあたかも協奏曲を奏でるかのような美しい詩画集「まぶしい庭へ」が角川から出版され、晩年には家から出ることさえしなかったという孤高の生涯を描いた「静かなる情熱」というタイトルの映画が昨秋岩波ホールで上演された。
夜が明けた。わたしは目路はるか大海原のかなたから輝く日輪の差し昇る姿を目のあたりにし、その黄金色の圧倒的な美しさに胸つぶれる思いで呆然と立ちつくした。そして、夜の月を愛した詩人ディキンソンが、もしこの日輪を眺めたとすればどんなふうに歌ったことであろう、と思った。浜辺では初日の出を見にあつまった人々が交歓し、寒風のなか、サーフアースタイルに身を固めた男たちが、てんでにサーフボードをかかえ、海にむかっていく姿が、三,三,五,五、黒いシルエットとなって見えていた。                

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