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プロフィール

高沢英子

Author:高沢英子
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 伊賀上野出身
 京都大学文学部フランス文学科卒業

 メイの会(本を読む会)代表。
 元「VIKING]「白描」詩誌「鳥」同人

著書:「アムゼルの啼く街」(1985年 芸立出版) 
「京の路地を歩く」 (2009年 未知谷)
   「審判の森」    (2015年 未知谷)     

共著: 韓日会話教本「金氏一家の日本旅行」(2007年韓国学士院)
 現在メールマガジン「オルタ」にエッセーなど寄稿。

 

東京都 千代田区在住


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10月24日、千葉市と杉並区に住んでいる従妹姉妹が訪ねてきました。大田区に移らないうちに会っておこうと。・・おとといの雨もやみ、久しぶりの再会です。子供のころのまだ元気だったおじさんおばさん、お姉さん、お兄さんが話題に。すでにほとんど故人です。
いろいろ思い出して楽しみました。
 3人とも伊賀の生まれ。みんないつのまにか高齢者。最近は従姉弟や兄弟も遠く離れて住んでいるケースが多く、従妹同士の交流も少なくなっています。
 送る予定の段ボール箱をひっくり返して妹は私の「審判の森」を買い、姉はわたしが昔雑誌に寄稿した記事を読もうと2,3冊持って帰りました。
 これはアボリジナルの伝承についてコメントした記事で、私にとっても懐かしいものです。
太田区に戻ったら、残った時間、これまでの読書ノートやメモを整理し、書き残せるものは書き、有意義に使いたいと思っています。いま愛読しているのは「マザーテレサの語録」知りあいの聖パウロ女子修道会のシスターが編集に携わった分厚い本で、毎日少しづつ読み、心に沁みることばを噛みしめています。
 ラジオでは、核兵器廃絶、の条約が各国で批准された報道が報じられています。新型コロナ感染者は増え続け、この地球はこれからどうなってゆくのでしょうか? 孫たちの未来が気遣われます。

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 夏ごろから少しづつ歩くたびに脚が痛むようになり、リハビリを受けて、良くなったかと思うとまた悪くなる、という繰り返し、これまでのように、自由に散歩ができにくくなりました。 
 坐骨神経とかいう御診断ですが、ブログも大分お休みしました。
 けっきょく、11月からもう一度娘のところで厄介になることに・・・・。千代田区で3年、それなりに充分楽しみましたが、また大田区久が原で暮らします。マンション前の広場には美しい庭があり、四季折々の風景はまた楽しみです。談話室もあるので、コロナの心配がなければ、お訪ねくだされば、いろいろお喋りも楽しめるのですが・・・・・、まったく困難なご時世で若い人たちは殊更気の毒ですね。
 4,5日前に引っ越し便を出し、がらんとした部屋で、冷蔵庫や電子レンジのない生活、買いおきもままならず、食べ歩きもできず、ふと、子供時代ン愛読書だった「ロビンソン・クルーソー」を思い出しました。もう一回是非読み返したいと思っています。
 くらべものにはならないものの、工夫しながら暮らす知恵にほとほと感心を超えて感動したのをなつかしく思い出しながら、フライパンで焼いた焦げたパンを齧り、苦い紅茶を淹れてバナナを食べ、苦笑しています。
 

無象風景

大きい文字9月12日、久しぶりに千代田区の循環バス「かざくるま」で神田の学士会館へ行ってみました。自室にいると、どうも気が散って何事もはかどりません。おまけに暑さは少しも収まらず、狭い部屋でうだっているよりと、9時過ぎ部屋をあとに。10時過ぎ神田錦町停留所で降り、ぶらぶら歩いて、錦町2丁目?のちょっとしたスペースを利用したスクウエアに植えられているショウジョウノムラという銘つき紅葉の臙脂色の繊細な葉を観賞し、並んでいるウスキ木犀とやら、クロガネモチとやら、ヤマボウシというたくましげな樹につけた名札を見て、片隅の小池で泳いでいる緋鯉に挨拶したりして、博報堂の前を通ると、もう目の先が学士会館です。
 ここにくるのはしばらくぶりでしたが、1階の談話室は誰もいないでひっそりしています。しめしめ、と思って窓際に席を取り、アマゾンを通じて書店に注文した西田幾多郎先生の「善の研究』を読むことに。、なんとなく
 しみじみ学生時代近くに住みながら、この本を読もうとしなかったことを反省しました。大学の近くに「哲学の道「」とやらもあり
なんとなく気がすすまなかったようなわけでした。何しろ超生意気でしたから・・・それにしても、その2,3年前、文学部の哲学科で殺人事件があり、女子学生が同学部の学生に殺されたりしたこともありました。そのとき聞きかじった事件の解説めいた文辞を
のちに高橋たか子に教え、彼女はそれを自作の小説「誘惑者」に書き入れています。自殺ほう助の小説でしたが、計画を練る部屋が、また私が当時止宿していた下宿の部屋そっくりという次第でした。長く生きると、ふとしたことにも、妙なしがらみがまつわりつくことがしばしばあります。
 西田哲学の説く「純粋経験」はあらゆる芸術創作、文学においても勿論大切な視点を、示唆していると感じられます。そして、これも西田哲学の大きな特徴ですが、哲学を宗教と結びつける接点をあえて論じているところに大きな特徴があると知りました。これはカントなどのドイツ観念論から1歩進んだフィフテが提唱した論理を引き継いだものらしいことも知りました。博覧強記の西田幾多郎先生はスピノザからデカルト、さらにベルグソンなども精読しておられたようです。
 物を書く視点に、「純粋経験」を第一にめざすということは、非常に重要です。イタリアの作家ナターリア・ゲンズぶるぐなど、これを目指した手法をかなり駆使しているのではないかと思っています。ともあれ今は西田哲学と、神曲天国篇、草花写生、砂漠の孤高の画家ジョージア・オキーフの作品の美しさに見とれながら、残暑をやり過ごして位と思っています。
 

無象風景

<strong><span style=”font-size:x-large;”>おおきいもじ</sp九月三日、東京ではようやく暑さがやわらいできたような朝ですが、沖縄や九州地方で、また考えられないほど大型の台風が襲ってきているという話、北九州にお住いのお友達の広瀬尚子さん、長崎に住んでいる姪の娘の家族など、今どうしてるかしら、と思いながらニュースを聞いています。
 昨夜はなかなか眠られず、明け方にぐっすり眠ったらしく、目が覚めたのは七時過ぎだったのには驚きました。 スマホの目覚ましは、五時十分と、二十分にお知らせ設定にしているのですが、まったく目が覚めませんでした。ここ二,三日余りの残暑で寝不足気味だったのかも…。
 木曜日は、マンションのゴミ出しの日で(ドアの前に置いておくと片付けてくれるのがありがたいです)洗顔、着替え、ベランダのドアを開けて植木?に水やり、時々思いつく体重測定、(また三一・五㌔に後戻りでがっかり)いつものメニュウの朝ごはん準備と食事のあと、ゴミをまとめをて外に出し、NHKラジオを聴きながら、すべてのスケジュールを終えて時計を見ると九時。まったくスローライフで、予定はいつも潰れています。
 でも、かけっぱなしのラジオで今朝はいろいろ収穫がありました。今は珍しい活弁のスター、山崎バニラさんのドラエモンの妹の喋りなど楽しく聞き、小津安次郎監督の「大学は出たけれど」の語りを聞いて、まさに私の父の世代、昭和4年、我が家にあった岡本一平の現代世相漫画というハードカバーの本のなかに、若い男が大学の卒業証書を地面に叩きつけて「こんなものが何の役に立つ!」と蹴飛ばしている漫画があったのを思い出しました。!そのほかにもいろいろ。子供時代のわたしの愛読書でした。
、プロでユーサーガンマさんの相談タイムで、思いがけず、吉田拓郎の「ガンバラナイケド、イイデショウ」という歌を聞き、ほっとしたと思うと、今度は日本の子供の世界的ランキングで、37位というニュー―スになんとなく頷いて、健康は1位なのに、幸福度37位という落差に衝撃を受け、知的には上位だが、適応力に劣り、についてはさもあらんと憂い、 最後に一番の収穫は哲学者西田哲郎先生の「大震災後に思う」というアララギ誌上のエッセが朗読されたことでした。れたことでした。西田幾多郎博士は私が京都大学へ入学の前に退官され、大学の近くには博士が毎日散歩されたという「哲学の道」がありました。1911年発刊された『善の研究』今回あらためて読み直してみたいと思います。1950年頃の戦後の社会で、あらためて大学生たちが争って買い求めていた本です。

無象風景

処暑、二十四節気の14番目になります。、立秋から2週間後くらいあと、ということですから、残暑もそろそろ終わりを告げるころ、という意味でしょうか。昨日は朝から雨で、午後には上がりましたが、一日家の中でごろごろしていて、夕方太陽がビルの蔭に落ちるころあいを見はからって散歩にでました。
 いつもの十思公園です。裏手の方に、小さな門があってそこから入る細い通路があり通路の脇には草花の茂みがあり、なんの花でしょうか、濃い紫の美しい小花をびっしりつけた蔓草をみつけ、そっと一枝折りとってバッグにいれました。あとで写生をするつもりです。5弁の花びらをつけた直径 1センチにも満たない小花ですが、一茎に10個ほど密集して付いているのです。しかもそれぞれが長-い子房でくきに繋がっています。葉は薄く柔かく、ふちのところはギザギザになっています。東京の町中を歩いていると
街路樹のまわりやビルのまわりのスペース、建築現場の片すみなど至るところに草花や、名の知らない樹木が生い立っていて四季折々に花を咲かせたり、実、をつけたり、思わず立ち止まってしみじみ見とれてしまいます。スマホのカメラで撮るだけだは物足りなくなり、近ごろは、思い立って差支えなさそうなケースの場合、そっと折り取ってあらかじめ持参したビニール袋などに入れて帰り写生をしたりもしていますかねてから敬愛する詩人で医学者木下杢太郎博士は、晩年昭和18年から20年の死の直前まで花の写生をつづけられ872枚の水彩画を残されました。学生時代からこのかたの本はいろいろ持っていて、現在手もとに持っているのは岩波文庫の百花譜百選だけですが、繰り返しあかず披いてみては、そのすばらしさにはとても及びもつかないと嘆息しつつ眺めています。

日曜日で子供連れの家族が2組ほど。桜の古木が何本もあって鬱蒼とした園内は、ビルのあわいということもあり陽射しは殆ど届かず、風が吹き通り、親たちはベンチでr寛ぎ、子供たちは木陰を走りまわっていました。今日は珍しくアブラゼミが啼いていました。
 公園の前の通りはは、ほどほどの広さで、地下鉄日比谷線の小伝馬町駅に通じるエレベーターがあります。朝晩のラッシュ時以外は、ほとんど人とおりもなく、車もめったに通りませんが、「時の鐘通り」という曰くありげな呼び名で、片隅に、吉田松陰の事績がびっつしり書かれた表示板が掲げられています。
 時の鐘とは公園内に保管されている鐘のことで、江戸時代,このあたりから本所日本橋界隈迄、ひとびとに時を告げていた鐘で、当時このあたりにすむひとびとは鐘tつき役のひとには一戸当たり1文づつ鐘付き料を払っていたそうです。づつそのまま昭和通りにて

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